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仙巌園・磯御殿

仙巌園・磯御殿

万治元年(1658年)、第19代当主で薩摩藩第2代藩主の島津光久(しまづ みつひさ)によって造園された仙巌園。島津家の別邸として利用された磯御殿は、見事な書院造り。明治21年からは焼失した鹿児島城に代わり、島津忠義公爵一家の住まいとなっていました。昭和32年に島津家に返還され、現在は島津興業が管理公開しています。

ニコライ皇太子、エドワード皇太子も訪れた!

第29代当主で、薩摩藩最後の藩主となった島津忠義(しまづ ただよし)は、明治21年に帰郷後、一時本邸として活用し(鹿児島城の御殿は明治6年に焼失)、また国内外の要人を招く「迎賓館」としての役割も果たしています。
明治24年4月27日、後のロシア皇帝ニコライ2世を乗せたロシア軍艦が長崎に寄港し、5月6日に鹿児島へ入り、島津忠義公爵のもてなし(古風な甲冑を着けた老武士170人を集めて侍踊りを披露)を受けています。
有名な大津事件はその数日後、5月11日に勃発。
明治29年、ニコライ2世の戴冠式の際には、島津家から2対で1組の薩摩焼花瓶が贈られています。

大正11年には後の英国国王エドワード8世がプリンス・オブ・ウェールズ時代(皇太子時代)に仙巌園を訪れ、鎧兜を着用して祝賀会に出席しています。

現在残されている御殿の建物は、明治17年に改築された部分を中心に、往時の3分の1ほどの規模。
来客への応接に使用された「謁見の間」、島津忠義が1日の大半を過ごした「御居間」、忠義の寝室である「御寝所」、藩主専用の浴室「御湯殿」、美しい中庭などが残されています。

エドワード皇太子
仙巌園・磯御殿
名称 仙巌園・磯御殿/せんがんえん・いそごてん
所在地 鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1
関連HP 仙巌園公式ホームページ
電車・バスで JR鹿児島中央駅から鹿児島交通の霧島行きバスで15分、仙巌園前下車すぐ
ドライブで 九州自動車道鹿児島北ICから約8.7km
駐車場 500台/有料
問い合わせ 仙巌園 TEL:099-247-1551/FAX:099-247-5072
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

仙巌園(磯庭園)

万治元年(1658年)に島津家19代、薩摩藩第2代藩主・島津光久(しまづ みつひさ)が別邸として造園した庭園が仙巌園で、通称「磯庭園」。園内には奇岩奇石が多く、中国江西省・龍虎山の仙巌に似ていることから「仙巌園」と名付けられました。琉球王国

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