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西古見掩蓋式観測所跡

西古見掩蓋式観測所跡

鹿児島県大島郡瀬戸内町、奄美大島の西端、東シナ海、大島海峡に臨む曽津高崎近くに、日露戦争直後、奄美大島要塞の一部として築かれた戦争遺跡が、西古見掩蓋式観測所跡(にしこみえんがいしきかんそくじょあと)。掩蓋とは敵弾の危害を防ぐため、頑強に上部をコンクリートで覆ったトーチカ的な施設のこと。

公園化された第2観測所が見学可能

西古見掩蓋式観測所は、池堂(いけどー)地区の西古見第1砲台、西古見第2砲台とともに大正10年6月、陸軍によって建設が開始されますが、大正11年2月、ワシントン軍縮会議による太平洋防備制限条約により砲台工事は中止(要塞関連の施設は工事が続行)。

昭和9年12月、ワシントン海軍軍縮条約が破棄され、昭和16年6月22日の独ソ戦開戦以降は、要塞化が進み、昭和16年9月には陸軍奄美大島重砲兵連隊が駐屯するようになりました。
観測所には大型の望遠鏡が中央台に設置され、敵艦を発見すると、電話で池堂地区の砲台に連絡し、28糎榴弾砲が砲撃を行なうという仕組みになっていました。
池堂地区には、陸軍兵舎跡、砲台跡などが現存しています。

観測所は2ヶ所あり、見学できるのは公園化された第2観測所。
瀬戸内町大島海峡の西口に位置する戦争遺構で、円形な鉄筋コンクリート製の堅牢な造りで、内部に入ることもできます。
内壁には観測所から見渡せる加計呂麻島や遠く徳之島などの島々、江仁屋離、赤瀬、ワレ瀬、須子茂離、夕離などの瀬(岩)の絵図、距離が記され、曽津高崎突端に建つ曽津高崎灯台は立入禁止のため、ここから眺めることになります。

海峡西口の西古見の砲台群に対して、大島海峡東口、加計呂麻島の東端には安脚場砲台(あんきゃばほうだい)が設けられ、敵戦艦、潜水艦の侵入を阻止するため、海峡東口の海中に管制機雷を設置し、衛所で聴音、監視活動も行なっていました。

瀬戸内町には以上の2ヶ所のほか、手安地区に手安弾薬本庫跡(てあんだんやくほんこあと)があり、弾薬庫の見学が可能。

西古見掩蓋式観測所跡
名称 西古見掩蓋式観測所跡/にしこみえんがいしきかんそくじょあと
所在地 鹿児島県大島郡瀬戸内町大字西古見
関連HP 奄美せとうち観光協会公式ホームページ
ドライブで 古仁屋港から約40km
駐車場 あり/無料
問い合わせ 奄美せとうち観光協会 TEL:0997-72-1199
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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