鹿児島県大島郡瀬戸内町、加計呂麻島(かけろまじま)の島尾敏雄文学碑公園の北側、干潮時には干潟が広がる呑之浦(のみのうら)にあるのが第18震洋隊基地跡。太平洋戦争末期、後に小説家となった島尾敏雄(しまおとしお)を隊長とする日本海軍の特攻隊(第18震洋隊)が配備されていた場所です。
加計呂麻島にある特攻艇「震洋」の出撃基地の跡
震洋隊は小笠原・父島に配備の第1震洋隊から第147震洋隊まで、日本全国とコレヒドール島、台湾高雄、ボルネオ島サンダカンなどの占領地に147の部隊が配備されました。
第18震洋隊は第二次世界大戦末期の昭和19年11月、大島海峡に臨む呑之浦に配置され、特攻艇「震洋」(しんよう)が50艇~55艇配備されています。
震洋は、海軍が開発した特攻兵器(小型特攻ボート)で、一型艇(トヨタ特KC型ガソリンエンジン×1)が全長5.1m、幅1.67m、五型艇(トヨタ特KC型ガソリンエンジン×2)は全長6.5m、幅1.86m。
旧制大島中学校(現大島高校)の生徒が動員されて12本の格納壕(かくのうごう)が掘削されています。
瀬戸内町教育委員会の調査によると、格納壕は奥行き30m~36mあります。
島尾敏雄大尉は、昭和20年8月13日の夕方に出撃命令を受けますが、敵艦隊が姿を見せず、終戦を迎えています。
第18震洋隊基地跡 | |
名称 | 第18震洋隊基地跡/だいじゅうはちしんようたいきちあと |
所在地 | 鹿児島県大島郡瀬戸内町押角 |
ドライブで | 生間港から約10km |
問い合わせ | 奄美せとうち観光協会 TEL:0997-72-1199 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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