北条氏最後の執権・北条高時(ほうじょう たかとき)が葛西ケ谷の東勝寺で自害した後、北条一族の霊を弔うため、建武2年(1335年)、鎌倉幕府を滅ぼした足利尊氏(発願は後醍醐天皇)によって建立されたのが宝戒寺(ほうかいじ)。鎌倉幕府2代執権の北条義時以降、北条氏の歴代執権の屋敷、小町亭があった場所に建立されたもの。
鎌倉幕府最後の執権・北条高時の霊を慰める「萩の寺」
正式名は金龍山釈満院円頓宝戒寺。
寺の建つ場所は、鎌倉幕府の第2代執権・北条義時(ほうじょうよしとき)以来の歴代の北条得宗家の屋敷跡。
元弘3年(1333年)、上野国新田荘(現・群馬県太田市周辺)の生品明神社(生品神社)社頭で鎌倉幕府倒幕の挙兵をした新田義貞(にったよしさだ)は、小手指原の戦い(こてさしがはらのたたかい/現・埼玉県所沢市)、分倍河原の戦い(ぶばいがわらのたたかい/現・東京都府中市)で勝利を収め、稲村ヶ崎から鎌倉へと進軍して、鎌倉幕府執権の屋敷は灰と化しています。
詰の城として機能した北条家の菩提寺・東勝寺も同時に焼け落ちたため、後醍醐天皇は、鎌倉幕府最後の執権となった北条高時に神号「徳崇大権現」(とくそうだいごんげん)を与え、宝戒寺が建立されたのです。
本堂には本尊で国の重要文化財、子育経読地蔵大菩薩(こそだてきょうよみじぞうだいぼさつ)が安置されています。
秘仏の木造歓喜天立像、木造惟賢和尚坐像も国の重要文化財。
また9月上旬〜下旬、参道や境内を覆い尽くす白萩から「萩の寺」の名があり、秋〜春(10月下旬〜5月)のツバキ、早春(2月〜3月)のしだれ梅と、花の寺としても有名です。
北条高時が東勝寺で自刃し、鎌倉幕府が滅亡した5月22日には、慰霊のために徳崇大権現会(とくそうだいごんげんえ)・大般若経転読会(だいはんにゃてんどくえ)が行なわれています。
宝戒寺 | |
名称 | 宝戒寺/ほうかいじ |
所在地 | 神奈川県鎌倉市小町3-5-22 |
関連HP | 宝戒寺公式ホームページ |
電車・バスで | JR鎌倉駅東口から徒歩10分 |
ドライブで | 横浜横須賀道路朝比奈ICから約5km |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 宝戒寺 TEL:0467-22-5512 |
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