鎌倉市長谷にある浄土宗の寺、高徳院。本尊は「鎌倉大仏」、「長谷の大仏」と通称される大仏(阿弥陀如来像)で、国宝。源頼朝が奈良大仏にならって大仏建立を発願しましたが、没後に建築が始まり、現在の大仏は建長年間の鋳造といわれています。台座を含めた高さは13.35m、重さは121トンという巨像で、日本三大仏のひとつ。
頼朝が発願!? 鎌倉に建立された大仏
源頼朝が大仏に関心があったのは、奈良の大仏と大仏殿に尽力したから。
平安時代末期、平清盛の命による南都焼討で、東大寺は大仏殿、大仏を含めて主要な伽藍が焼け落ちています。
その復興に尽力したのが後白河法皇と源頼朝、北条政子。
建久6年(1195年)の東大寺大仏殿の落慶供養には源頼朝、北条政子が揃って出席しています。
頼朝はその後、3年少々で没しているので、鎌倉の大仏の完成を目にすることはできませんでした。
大仏の材質は鎌倉時代に流通していた宋銭の組成に類似しており、宋銭を大量につぶして鋳造にあてたと想像されています。
文永元年(1264年)8月在銘の金峰山寺蔵王堂鐘銘(吉野山の蔵王堂=鐘は現存していません)に「新大仏鋳物師丹治久友」とあるので、大仏を鋳造に河内の鋳物師・丹治久友が関係していたことが判明しています。
往時には露座でなく、大仏殿が建っていた
大仏脇で拝観料を払えば、大仏の内部を拝観できる胎内拝観も可能。
大仏を覆う大仏殿は、応安2年(1369年)に倒壊(『鎌倉大日記』)したことが、近年の調査などから裏付けられています。
大仏の周囲には往時の大仏殿の礎石があるのでお見逃しなく(ただし配置はまったくでたらめの状態でまさに椅子替わりになっています)。
境内で水盤に加工されているものも含め礎石は53個確認されている(当初は60個あったと推測されています)。
境内一帯は、「鎌倉大仏殿跡」として国の史跡に。
大仏の材質は鎌倉時代に流通していた鉛分の多い宋銭の組成に類似。
中国の華南産の銅が使われていることは明白ですが、宋銭を大量に潰して鋳造に当てたとする説もあります。
奈良の大仏は銅の比率が9割以上であるのに対し、鎌倉大仏は68.8%。なんと鉛が19.6も含まれているのです。
宋銭には鉛が2割以上含まれ、集めた浄財をそのまま使ったという推理も成り立ちます。
ただし、宋銭に含まれる鉛の割合にバラツキがあるので、デリケートな鋳造には不向きという考えも。
真相はいまだに謎です。
また、造像当初は表面に金箔を貼っていたとされ、創建時には黄金色に輝く、神々しい像だったと推測できます。
高徳院(鎌倉大仏) | |
名称 | 高徳院(鎌倉大仏)/こうとくいん(かまくらだいぶつ) Kotoku-in Temple,Kamakura Daibutsu(Great Buddha of Kamakura) |
所在地 | 神奈川県鎌倉市長谷4-2-28 |
関連HP | 高徳院公式ホームページ |
電車・バスで | 江ノ島電鉄長谷駅から徒歩10分 |
ドライブで | 横浜横須賀道路朝比奈ICから約8.4km |
駐車場 | 大仏前県営駐車場(10台/有料) |
問い合わせ | 高徳院 TEL:0467-22-0703/FAX:0467-22-5051 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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