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元箱根石仏群(元箱根石仏・石塔群歴史公園)

元箱根石仏群(元箱根石仏・石塔群歴史公園)

国道1号は、箱根山中(神奈川県箱根町)、駒ヶ岳と上二子山の間を抜けるあたりが標高874mの最高地点。一帯には、鎌倉、室町時代の地蔵信仰を伝える石仏、石塔が点在し、国の重要文化財に指定されています(元箱根石仏群)。元箱根石仏・石塔群歴史公園として整備され、石仏群と精進池を結ぶ散策路、ガイダンス棟も設置。

鎌倉時代の地蔵信仰が造立の背景に

元箱根石仏群があるのが精進池(しょうじがいけ)の北岸。
南岸に駐車場とガイダンス棟の「箱根の石仏群と歴史館」が整備され、そこから元箱根石仏群へと散策路(一部は木道)が整備されています。

中世には京と鎌倉を結ぶ重要な交通路(鎌倉古道=湯坂道)が精進池を通っていましたが、険しい地形や荒涼とした風景から、「地獄」と呼ばれ旅人に恐れられていたのです。
平安時代後期、末法思想を背景に(現世では仏果は得難く、来生での極楽往生を願う浄土信仰が流布)、極楽浄土に往生の叶わない衆生は、必ず地獄へ堕ちるものという信仰が強まり、鎌倉時代にはそれを救済するのは地蔵菩薩だという地蔵信仰が普及していきます。
そのため、石仏や石塔群を造営して有縁無縁の霊を慰めるようになったのです。
京と結ばれる街道にこうした石仏が祀られるのは、当時の宗教観の反映としても貴重な存在になっています。

高さ3.5mの巨大な磨崖仏の六道地蔵(地蔵菩薩坐像)、「多田満仲の墓」と呼ばれる宝篋印塔、二十五菩薩(磨崖仏/国道1号西側に23体、東側に3体)、「曽我兄弟の墓」・「虎御前の墓」(石造五輪塔)、「八百比丘尼の墓」と呼ばれる宝篋印塔残欠などを一巡して見学することができます。

六道地蔵は、修復事業で、昭和初めに造られた白毫や右手、錫杖なども正しい姿に戻され、覆屋(地蔵堂)についても基礎が確認された室町時代当時の姿で復元されています。

国道沿いに並ぶ3基の石造五輪塔は、左側2基が「曽我兄弟の墓」、右の1基が「虎御前の墓」と通称され、やはり国の重要文化財に指定されています。

「多田満仲の墓」には、石工の代表として大和国の大蔵安氏、鎌倉極楽寺の住職・良観(忍性)の名も刻まれています。
銘文からは正安2年(1300)の造立であることが判明し、国の重要文化財に指定されています。

磨崖仏は中央火口丘を形成した4万年前の火山活動で流出した駒ヶ岳溶岩、上二子山溶岩に彫られ、宝篋印塔もその溶岩を切り出したもの。
鎌倉時代には、地獄を思わせる噴煙が立ち上る荒涼たる風景だったと推測され、箱根ジオパークのジオサイトにもなっています。

石仏群と歴史館散策路は片道30分ほど。
園内を貫く国道1号は、2本のトンネルでくぐることが可能です。

名称 元箱根石仏群(元箱根石仏・石塔群歴史公園)
所在地 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根
関連HP 箱根町公式ホームページ
電車・バスで 箱根登山鉄道箱根湯本駅から箱根登山バス、伊豆箱根バス箱根町行きで30分、六道地蔵下車、徒歩1分
ドライブで 箱根新道須雲川ICから約9km
駐車場 35台/無料
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

精進池

神奈川県箱根町、正月の箱根駅伝でもお馴染み、国道1号の最高地点近くにある池が精進池(しょうじがいけ)。上二子山と駒ヶ岳の鞍部に位置する精進池は、上二子山の溶岩流と駒ヶ岳溶岩流の境に位置しています。元箱根から続く箱根町断層にあたり、その鞍部に

身代わり地蔵(元箱根)

神奈川県箱根町、元箱根の芦ノ湖湖岸にある賽の河原(さいのかわら)から国道1号を山側に渡った岩屋に安置されているのが身代わり地蔵。鎌倉時代の初め、源頼朝の家来、梶原景季(かじわらかげすえ)が父の梶原景時(頼朝の寵臣)と見誤られて背後から斬りつ

正眼寺

神奈川県足柄下郡箱根町湯本、箱根湯本の早雲通りの山際に建つ寺で、京都大徳寺の末寺が正眼寺(しょうげんじ)。鎌倉時代は地蔵信仰の霊地だった場所で、地蔵を安置していた湯本地蔵堂の別当、勝源寺が寺の前身です。今でも毎年9月21日には地蔵尊縁日が開

 

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