サイトアイコン ニッポン旅マガジン

鶴岡八幡宮・一の鳥居

鶴岡八幡宮・一の鳥居

古都・鎌倉の都市計画は、源頼朝が鎌倉入りした直後の治承4年10月12日(1180年11月1日)、鶴岡八幡宮を現在地に遷し、海岸から八幡宮への参道となる若宮大路を開いたのが始まり。その若宮大路には海岸から一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居が配されていますが、一の鳥居は「日本三大石鳥居」にも数えられる浜の大鳥居です。

昭和12年に旧部材を使って再建、国の重文に

現存する一の鳥居は、江戸時代初期の寛文8年(1668年)、4代将軍・徳川家綱(とくがわいえつな)が祖母・崇源院(浅井三姉妹のひとりで、徳川秀忠の正室・お江/1626年没)の大願により寄進・再建した高さ8.5mの石造明神鳥居。

お江は、慶長9年(1604年)、竹千代丸(3代将軍・徳川家光)を懐妊したとき、鶴岡八幡宮に安産祈願を行ない、無事出産したことから鶴岡八幡宮への崇敬を篤くします。
ある日、崇源院は夢に八幡大神が現れ鶴岡八幡宮の大鳥居を備前犬島産(岡山市犬島)で建立するように告げられます。
崇源院は、そのことを家光に伝えますが実現せず、孫の徳川家綱の代となってようやく実現するのです。
遺言どおりに大坂城の蛸石と同じ、備前犬島石でつくられています。

参道の二の鳥居、三の鳥居も同様に徳川家綱の寄進によって建て替えられましたが、大正12年の関東大震災で倒壊。
一の鳥居も関東大震災で倒壊していますが、昭和12年に一部に江戸時代の石材を用いて再建されています(二の鳥居、三の鳥居はコンクリート造りで再建)。
柱の上部(旧材部分)に「寛文八年戊申八月十五日 御再興 鶴岡八幡宮石雙華表」と刻まれています。
一の鳥居は浜の大鳥居とも呼ばれ、国の重要文化財に指定。

鶴岡八幡宮・一の鳥居
名称 鶴岡八幡宮・一の鳥居/つるがおかはつまんぐう・いちのとりい
所在地 神奈川県鎌倉市由比ヶ浜2丁目
関連HP 鎌倉市公式ホームページ
電車・バスで JR鎌倉駅から徒歩10分
ドライブで 横浜横須賀道路朝比奈ICから約5km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 鎌倉市観光課 TEL:0467-61-3884
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

日本三大石鳥居とは!?

鳥居の材質はもともとは木だったのですが、中世から北九州や瀬戸内海の花崗岩を海路運んで鳥居にするという石鳥居が建立されるようになりました。運搬に財力がかかることから、奉納者の権力を示すことができるこの石鳥居、日本三大石鳥居に数えられるのは、や

鶴岡八幡宮

鎌倉幕府を開いた源頼朝が創建した由緒ある古社が鶴岡八幡宮。もとは康平6年(1063年)、相模守となった源頼義が、材木座に京の石清水八幡宮を勧進したのが始まり。その後、鎌倉に居を構えた頼朝が治承4年(1180年)10月12日に現在地に若宮を建

若宮大路・段葛

鎌倉(現・神奈川県鎌倉市)に幕府を開くにあたり、源頼朝(みなもとのよりとも)が行なった都市計画で、メインストリートとして造成されたのが海岸と鶴岡八幡宮を結ぶ若宮大路。参道を兼ねるため一の鳥居から三の鳥居まで途中3つの鳥居がありますが、二の鳥

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

モバイルバージョンを終了