神奈川県横須賀市、1.5kmもの深い入江となった浦賀港を挟んで、東西の叶神社が向かいあうように建っていますが、東側(東浦賀町)にあるのが東叶神社(正式名は叶神社)。明治の神仏分離、廃仏毀釈までは耀真山永神寺という真言密教の寺が別当で、裏の山頂で火渡り修行が行なわれていました。
江戸時代初期、干鰯で繁栄した東浦賀の鎮守社
神社の縁起では、養和元年(1181年)、高雄山神護寺の僧・文覚が石清水八幡をこの地に勧請したと伝えられ、文治2年(1186年)、源頼朝が、源氏再興の願いが叶えられたので、叶明神と改めたと伝えられています。
石段の両側に植えられている一対のソテツは、源頼朝が伊豆から移植したものとも。
ただし、江戸時代初期の元禄5年(1692年)、浦賀村が東と西に分かれたとき、西浦賀村の叶神社を遷して祀り、西の叶神社を本宮、東の叶神社を若宮と呼んだとも、正保元年(1644年)に西浦賀の叶神社から分霊を勧請して創建したとも伝わり、定かでありません。
東浦賀は戦国時代末期から房総半島で生産される干鰯(ほしか=イワシを乾燥させて肥料にしたもの)を関西へと輸送するための中継地として発展。
魚肥を扱う干鰯問屋(ほしかどいや)が軒を並べていました。
東浦賀村が浦賀村から分離された元禄5年(1692年)は、その干鰯輸出で賑わった最盛期にあたるので(その後、干鰯問屋の参入によってしだいに衰退)、その財力で社殿を建立したとも推測できます。
御水屋の脇に大きな石は、力持ちを競った力石。
社務所の裏の井戸は、咸臨丸で米国へ渡った勝海舟が、航海の安全を祈って水垢離(みずごり)をし、拝殿左側の石段(恵仁志坂・産霊坂)を上った明神山で断食修行に入ったと伝えられています。
スダジイ、マテバシイの茂る明神山の山頂には奥宮が鎮座しています(叶神社の社叢林として神奈川県の天然記念物に指定)。
山頂一帯は、房総の里見軍からの侵攻を防ぐために北条氏康が築城した浦賀城の城跡。
東叶神社 | |
名称 | 東叶神社/ひがしかのうじんじゃ |
所在地 | 神奈川県横須賀市東浦賀2-21-25 |
関連HP | 叶神社公式ホームページ |
電車・バスで | 京急浦賀駅から京急バス観音崎方面行きで新町下車、徒歩8分。または、浦賀渡船東渡船場から徒歩5分 |
ドライブで | 横浜横須賀道路浦賀ICから約3km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | TEL:046-841-5300/FAX:046-843-7741 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag