西叶神社

西叶神社

神奈川県横須賀市の西浦賀に鎮座する古社が西叶神社(にしかのうじんじゃ)。正式名は叶神社で、源頼朝の平家打倒の願いが叶ったことから叶神社と呼ばれるようになったと伝えられています。江戸時代、西浦賀は浦賀奉行所が置かれて以降、廻船問屋が軒を並べ、繁栄しましたがその鎮守がこの叶神社です。

浦賀湊の反映を今に伝える古社

西叶神社

養和元年(1181年)、高雄山神護寺の僧・文覚が石清水八幡をこの地に勧請したと伝えられ、文治2年(1186年)、源頼朝が、源氏再興の願いが叶えられたので、叶明神と改めたと伝えられています。
明治初年の神仏分離、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)以前の神仏習合時代は、真言宗の感応院西栄寺が別当(神社を管理する寺)でした(明治の神仏分離で寺は廃寺となり、住職から神官へ)。

元禄5年(1692年)、浦賀村は当時、房総産の干鰯(ほしか=イワシを干して固めた魚肥)で繁栄していた東浦賀と、西浦賀に分村し(明治3年に再合併)、東浦賀にも叶神社が建立されています。

それ以降、東浦賀の叶神社と呼び分けるために、西叶神社と通称されています。
西浦賀は、享保5年(1720年)、下田から江戸湾の入口に位置する浦賀に奉行所が移され(浦賀奉行所開設)、船改め、異国船監視の業務を行なうようになったため、尾張藩の尾州廻船などの交易ルートとなって、廻船問屋が建ち並ぶように成りました。

西浦賀の鎮守、西叶神社の現存する社殿は江戸時代後期の天保13年(1842年)の再建ですが、本殿・幣殿は総檜造り、拝殿は総槻造り、拝殿には安房国朝夷郡北朝夷村(現在の千葉県南房総市千倉町北朝夷)出身の彫刻師・後藤利兵衛(江戸京橋の彫刻師・後藤三次郎の弟子)の見事な彫刻が施され、氏子の財力(建築費は3000両だったとか)を偲ぶことができます。
当時の日本にはまだ渡来していないとされる花や鳥も彫られており、これらの仕事が評価され、幕府お抱えの彫刻師へと出世しています。

文化・文政年間(1804年~1830年)頃が、浦賀の最盛期で、遊郭が建ち並び、全国から文人墨客が集まるようになったのです。
銅製の大きな灯籠は、繁栄した浦賀の遊廓(遊郭は5軒が公許されていました)によって寄進されたもの。
水屋にある石の漱盤は遊郭の主人から僧侶に転身した江戸屋半五郎の寄進。

明治4年、浦賀西岸学舎が置かれましたが、明治14年5月18日、明治天皇が観音崎砲台行幸の際には西岸学舎が休憩所に使われています。

名称 西叶神社/にしかのうじんじゃ
所在地 神奈川県横須賀市西浦賀町1-29
関連HP 叶神社公式ホームページ
電車・バスで 京急浦賀駅から京急バス久里浜方面行きで紺屋町下車。浦賀渡船西渡船場から徒歩2分
ドライブで 横浜横須賀道路浦賀ICから約2km
駐車場 10台/無料
問い合わせ TEL:046-841-0179/FAX:046-841-0161
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
東叶神社

東叶神社

神奈川県横須賀市、1.5kmもの深い入江となった浦賀港を挟んで、東西の叶神社が向かいあうように建っていますが、東側(東浦賀町)にあるのが東叶神社(正式名は叶神社)。明治の神仏分離、廃仏毀釈までは耀真山永神寺という真言密教の寺が別当で、裏の山

浦賀渡船

浦賀渡船

神奈川県横須賀市浦賀にある浦賀港は、江戸時代には廻船問屋が軒を連ねた港町。その浦賀港の東西を結ぶ公営渡船が浦賀渡船(うらがとせん)。浦賀の渡しとも、浦賀海道とも呼ばれる渡し船は、明治11年8月に東西浦賀の17町内会の共同体が運航を始めた歴史

 

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プレスマンユニオン編集部

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