神奈川県川崎市多摩区菅仙谷、稲城市との市境にある丘陵上に築かれた中世の城跡が小沢城。天然の要害となった丘陵で、鎌倉時代の初めに源頼朝の重臣、稲毛重成(いなげしげなり)の子、小沢重政(小沢小太郎)の居城だったと伝えられています。要衝に位置するため、たびたび戦乱の舞台にもなっています。
「多摩自然遊歩道」を利用しての散策も可能
多摩丘陵の先端、鎌倉街道、矢野口の渡し(多摩川の矢野口と調布を結ぶ渡船場、現在の多摩川原橋の下流側)を抑える交通の要衝に位置する小沢城。
南北朝時代の観応2年・正平6年(1351年)には足利直義(あしかがただよし=鎌倉幕府の有力御家人足利貞氏の三男で、建武の新政で鎌倉将軍府の長、湊川の戦いでは楠木正成を討ち取る)が小沢城に籠城し、鎌倉公方(かまくらくぼう=室町幕府の将軍が関東10か国を統治するために設置した鎌倉府の長官)の足利基氏(あしかがもとうじ=足利尊氏の四男)が攻め落としています。
享禄3年(1530年)、後北条氏の軍が小沢城に陣を構え、上杉朝興(うえすぎともおき)の軍勢を撃破していますが、これが北条氏康(ほうじょううじやす=北条氏綱の嫡男)の初陣(ういじん)です(『異本小田原記』)。
戦国時代以降は城としての機能を失い、江戸時代に入ると富士講の隆盛を背景に、浅間神社の祠を建立して富士塚として活用し、万延元年(1860年)建立の「富士登山三十三度大願成就記念碑」(富士講では、富士山に33回登拝すると大願成就するとされていました)などが残されています。
周囲から住宅地が迫る小沢城跡は緑地公園として保存され、空濠、物見櫓(やぐら)跡、土塁跡、井戸跡と類推される遺構が残されています。
小沢城址緑地保全地区に指定され、小田急小田原線の読売ランド前駅と南武線稲田堤駅・京王相模原線京王稲田堤駅とを結ぶ「多摩自然遊歩道」(5.0km、所要3時間30分)途中に位置しています。
また、小沢城の南側に、読売巨人軍室内練習場、読売ジャイアンツ球場があります。
小沢城 | |
名称 | 小沢城/おざわじょう |
所在地 | 神奈川県川崎市多摩区菅仙谷1-4 |
関連HP | 川崎市公式ホームページ |
電車・バスで | JR・京王稲田堤駅から徒歩17分 |
ドライブで | 中央自動車道稲城ICから約4km |
問い合わせ | 川崎市教育委員会 TEL:044-200-3261 |
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