神奈川県鎌倉市、鎌倉五山(建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺)の第一位、北条時頼が開基の建長寺。鐘楼に架る梵鐘は、1255年(建長7年)、関東の鋳物師の筆頭だった物部重光によって鋳造されたもので国宝。円覚寺、常楽寺(鎌倉国宝館寄託)の梵鐘とともに、鎌倉三名鐘に数えられています。
鎌倉三名鐘に数えられる梵鐘は、国宝!
建長寺を創建した北条時頼が大旦那となり、開山した南宋からの蘭渓道隆が銘文を撰した梵鐘で、建長寺創建当時の貴重な遺物です。
鋳造は物部重光。
銘文の最後には以下の文字が記され、梵鐘の由来がわかります。
また、銘文中の「建長禅寺」は、日本における「禅寺」の語の初見とも。
建長七年卯乙二月二十一日
本寺大檀那相模守平朝臣時頼
謹勧千人同成大器
建長禅寺住持宋沙門道隆
謹題都勧進監寺僧琳長
大工大和権守物部重光
建長寺には、国宝の梵鐘を含め3つの吊鐘があり、除夜の鐘は、通常、修行道場の横にある梵鐘を使っています。
鐘つけば銀杏散るなり建長寺
明治28年9月6日、夏目漱石が「鐘つけば銀杏(いちょう)散るなり建長寺」という句を『海南新聞』(現在の愛媛新聞)に発表していますが、漱石の知人・正岡子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」が、『海南新聞』に掲載されるのはその2ヶ月後の11月8日。
この年の4月、漱石は英語教師として愛媛県の松山中学校に赴任しているので、前年の秋の思い出を詠んだ句が『海南新聞』に掲載され、それにインスパイアされた子規が「法隆寺の茶店に憩ひて」と前置きして「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」と詠んだとも推測できます。
ただし、正岡子規は生涯で2万5000句も詠んでいるので、単なる偶然とする考え方もあり、定かでありません。
建長寺・梵鐘 | |
名称 | 建長寺・梵鐘/けんちょうじ・ぼんしょう |
所在地 | 神奈川県鎌倉市山ノ内8 |
関連HP | 建長寺公式ホームページ |
電車・バスで | JR北鎌倉駅から徒歩15分 |
ドライブで | 横浜横須賀道路朝比奈ICから約6.7km |
駐車場 | 30台/有料 |
問い合わせ | 建長寺 TEL:0467-22-0981 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag