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居留地界石

居留地界石

神奈川県横浜市中区山手町、山手本通り沿い山手十番館前の歩道に立つのが、居留地界石。安政6年6月2日(1859年7月1日)に締結された日米修好通商条約で、横浜が開港され、横浜村に外国人居留地が設置されますが、居留地界石は、外国人居留地と邦人居留地の境界を示す標石です。

山手外国人居留地と邦人居留地を分ける境界石

幕末の安政5年(1858年)に江戸幕府がアメリカ(日米修好通商条約)、オランダ、ロシア、イギリス、フランスの5ヶ国と結んだ安政五ヶ国条約により、開港場となった横浜村(現・横浜市中区)に設置された外国人居留地。
当初は徳川幕府によって山下居留地(関内居留地)が設置されましたが、外国人の人口増加に伴い、慶応3年(1867年)、海を眺める山手の高台に山手居留地を築き、山下居留地(関内)が外国の商館、ホテルが建ち並ぶ商業区域、山手が外国人住宅地となったのです。
つまり、山手に住み、山を下って山下の商館に出社するという居留地の生活が生まれたのです。

明治32年7月17日、居留地制度の撤廃され(行政権は明治10年に回復)、居留地制度がなくなるまで、この居留地界石は大きな意味を有していたのです。

横浜市教育委員会の調査報告『横浜山手』(昭和62年)では、エリスマン邸横(旧山手75番地)、ウチキパンの前などに5基の居留地界石が現存しているとされますが、もっとも鮮明で保存状態がいいのが山手十番館前の歩道に立つ境界石。
山手居留地発足直後のものとされるので、慶応3年(1867年)の設置ということに。

居留地界石から横浜外国人墓地側が邦人居留地ということに。

居留地界石
名称 居留地界石/きょりゅうちかいせき
所在地 神奈川県横浜市中区山手町246
電車・バスで 横浜高速鉄道みなとみらい線元町・中華街駅から徒歩5分、またはJR石川町駅から徒歩15分
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

山手本通り

神奈川県横浜市の山手地区のメインストリートが山手本通りで、「日本の道100選」にも選定。もともと横浜居留地に住む人々は山手地区を「険しい崖」(形成された海岸段丘)の意味からThe Bluff(ブラフ)、あるいはYamate Bluffと呼ん

 

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