山手本通り

山手本通り

神奈川県横浜市の山手地区のメインストリートが山手本通りで、「日本の道100選」にも選定。もともと横浜居留地に住む人々は山手地区を「険しい崖」(形成された海岸段丘)の意味からThe Bluff(ブラフ)、あるいはYamate Bluffと呼んでいました。山手本町通という町名が生まれたのは明治17年のこと。

山手居留地のメインストリート

山手本通り

関内駅などに象徴される関内という地名は、日米修好通商条約(安政五カ国条約)によって安政6年(1859年)に横浜に設置された開港場の区域(横浜居留地)。
居留地の内側をの「関内」と呼んだことに由来する地域の名前です(具体的な町名ではありません)。
関内の居留地が手狭になったことなどから、慶応3年6月24日(1867年7月25日)イギリス軍、フランス軍などが駐留していた山手(Bluff)の高台を開放、山手居留地を定めました(関内地区は山下と呼ばれるように=山下町という町名や関東大震災後に誕生した山下公園にその名を留めます)。
海を眺める山手の高台は、居留地の商社に務める人などに好評で、洋館が建ち並びます。
イギリス人、アメリカ人、イタリア人、ドイツ人など、山手に家族と暮らして山下町の外国人ビジネス街で仕事をするという、国籍の違いを超えたコスモポリタンな社会が誕生したのです。

明治32年7月17日、条約改正により外国人居留地が廃止され、7月24日に26ヶ町の区域に山手町が設置されます。

Yokohama Christ Church(横浜山手聖公会)も明治34年に横浜居留地105番(現横浜市中区山下町105)から山手居留地235番(横浜市中区山手町235)に移転し、鹿鳴館やニコライ堂を設計したイギリス人建築家ジョサイア・コンドル(Josiah Conder)によるレンガ造りのヴィクトリア様式の聖堂が完成しました。
住宅だけでなく、協会、公園(日本最初の洋式公園=山手公園)、外国人墓地、フランス人建築家ポール・サルダ(Paul Pierre Sarda)設計のパブリック・ホール(ゲーテ座)などが建ち並び、崖の途中から湧き出す水を船に運ぶ企業まで誕生したのです。

そんな異国情緒漂う町並みは、大正12年9月1日の関東大震災で倒壊。
多くの外国人が横浜から去り(数千人が暮らした欧米外国人社会は、関東大震災直後に250人ほどに激減。復興住宅などを建設して外国人の呼び戻しも行なっています/山手234番館=外国人向けの震災復興住宅です)、さらに第二次世界大戦参戦で外国人の姿が減ったのです。

大正時代から昭和初期にかけて建築された西洋館は、今も多数が個人住宅として使われています。
横浜市では移築を含め、山手本通り沿いに山手111番館(旧ラフィン邸)、横浜市イギリス館(旧イギリス総領事公邸)、山手234番館(外国人向け震災復興共同住宅)、エリスマン邸、べーリック・ホール(旧ベーリック邸)を無料公開しています。

北側の港の見える丘公園から南の山手イタリア山庭園(外交官の家、ブラフ18番館/ともに移築)まで、山手本通りは「西洋館巡り」の絶好の散策ルートになっているのです。

ちなみに「日本の道100選」は、居留地のBUND(海岸通り)が前身の山下公園通りとセットで100選に選定されています。
つまりは山下、山手両居留地のメインストリートが「日本の道100選」という粋な配慮です。

山手本通り
名称 山手本通り/やまてほんどおり
所在地 神奈川県横浜市中区
電車・バスで 横浜高速鉄道みなとみらい線元町・中華街駅から徒歩4分、またはJR・横浜市営地下鉄関内駅から徒歩13分
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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