高知県安芸市土居にある中世から近世の城跡(平山城)が安芸城(あきじょう)。鎌倉時代の初め、延慶2年(1309年)に土佐七守護のひとり、安芸親氏(あきちかうじ)によって築かれたと伝わります。藩政時代には、土佐藩山内家家老・五藤家の居館(安芸土居)となりました。現在、外堀と土塁が現存しています。
江戸時代には土居と称して廃城を免れる!
東北に安芸川が流れる50mほどの丘に築かれた平山城。
安芸氏は戦国時代の永禄12年(1569年)、土佐統一をめざす長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)に敗れ、その後は長宗我部氏の阿波(あわ=現・徳島県)侵攻の拠点となっています。
関ヶ原の合戦後、土佐に山内一豊(やまうちかずとよ)が入った後は重臣(土佐藩家老)・五藤為重(ごとうためしげ=天正大地震で長浜城から一豊の正室・千代を救出)を配しています。
元和の一国一城令の後には、安芸土居と称して存続し、明治維新を迎えています。
東に安芸川、北に城ヶ淵、西に矢の川(安芸川支流)、南に溝辺の堀があり、これらを外堀とした天然の要害となっています。
安芸城跡には中世の山城時代の土塁などの一部と、近世の土居時代の石垣の一部や井戸が残されています。
五藤家は高知城の南に高知屋敷、そして安芸城(安芸土居)にも屋敷を構えています(安芸土居内に現存する五藤家屋敷は明治時代の築)。
城内には、安芸市立歴史民俗資料館、安芸市立書道美術館が建っています。
城の北西1kmほどの旧井ノ口村には、三菱財閥の創始者、岩崎弥太郎の生家が現存しています。
城下の武家屋敷街が土居廓中
近世には土居の外に家臣団の居住地である廓中(かちゅう)を整えていますが、土居廓中(どいかちゅう)と呼ばる武家屋敷の家並みと、安芸城跡(安芸土居跡)を含む一帯9.2haは、国の伝統的建造物群保存地区(安芸市土居廓中伝統的建造物群保存地区)に選定。
家並みに沿って疎水がのび、土用竹やウバメガシの生け垣をめぐらせた旧家が藩政時代の面影を漂わせています。
安芸城 | |
名称 | 安芸城/あきじょう |
所在地 | 高知県安芸市土居955 |
関連HP | 安芸市公式ホームページ |
電車・バスで | 土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線安芸駅から元気バス循環一ノ宮線で6分、野良時計前下車、徒歩15分 |
ドライブで | 高知自動車道南国ICから約35km |
駐車場 | 廓中ふるさと館駐車場(15台/無料)を利用 |
問い合わせ | 安芸観光情報センター TEL:0887-34-8344 |
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