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宇佐八幡宮『例大祭(腰輪踊り)』|防府市|2024

宇佐八幡宮『例大祭(腰輪踊り)』

2024年9月29日(日)、山口県防府市の宇佐八幡宮で『例大祭(腰輪踊り)』が斎行。例年旧暦8月16日に近い日曜に開催される宇佐八幡宮『例大祭』に奉納される『腰輪踊り』は、「からんこ踊り」、「なもうぜん」とも呼ばれ、豊作や虫よけの祈願を込めて奉納されるもの。2024年は『腰輪踊り』奉納はありません。

大内義興時代に創始されたという伝承が

鈴屋(すずや)、奈美(なみ)両地区の子供達が隔年で踊りを奉納しています。
踊り手は胴取り2人、棒使い2人、鉦鼓(しょうこ)たたき8人の計12人の男子児童(小学2年生〜6年生)で構成され、12人が花笠や鶏冠飾りをかぶり腰に色とりどりの布をつけて舞うもの(胴取り、鉦鼓たたきは腰輪を付けます)。
腰輪には白の切り下げ紙の他に、色とりどりのしごき帯と呼ばれる飾り帯が付いています。

神前で、胴取りと棒使いが相対し、鉦鼓たたきがそれを囲んで円陣を作り、12通りの踊りを2回繰り返し奉納します。

明応の政変と大内義興、『腰輪踊り』の関係

防府市の宇佐八幡宮社伝によれば、明応2年(1493年)の明応の政変で、細川政元は第10代将軍・足利義材を廃して足利義澄を擁立しますが、足利義材は周防国に逃れ大内義興(おおうちよしおき)のもとに身を寄せ、将軍復職をめざして逃亡生活を送ります。

永正5年(1508年)、大内義興は、足利義材(将軍復帰後は足利義稙/あしかがよしたね)を奉じて上洛しますが、その際に戦勝祈願のために奉納したのが『腰輪踊り』の始まりと伝えられています。

ちなみに、足利義材は将軍職に復帰しますが、大内義興が周防国に帰国すると管領・細川高国(細川政元の養子)と対立。
再び将軍職を奪われ、大永3年(1523年)逃亡先の阿波国で死去しています。

宇佐八幡宮『例大祭(腰輪踊り)』|防府市|2024
開催日時 2024年9月29日(日)祭典11:00~、腰輪踊り11:30~、
所在地 山口県防府市鈴屋840
場所 宇佐八幡宮
関連HP 防府観光コンベンション協会公式ホームページ
電車・バスで JR山陽本線防府駅から堀行きバスで17分、鈴屋下車
ドライブで 山陽自動車道防府東ICから約5km
駐車場 あり
問い合わせ 宇佐八幡宮 TEL:0835-36-1154
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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