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武蔵の井戸跡

武蔵の井戸跡

熊本城の東、熊本県熊本市中央区千葉城町にある宮本武蔵ゆかりの史跡が武蔵の井戸跡。晩年の武蔵が暮らしたのは熊本城の東、千葉城の跡。旧NHK熊本放送局(平成29年移転)の駐車場の隅に武蔵が使ったとされる井戸の跡が残っています。

一帯は晩年の武蔵が暮らした屋敷跡

剣豪・宮本武蔵は寛永17年(1640年)、十七人扶持、300石という別格の客分待遇で初代肥後藩主・細川忠利(ほそかわただとし)に剣術、軍事、政治顧問として招かれています。
現在の井戸は場所を少し移動し復元したもので、現在の熊本西年金事務所一帯が武蔵の屋敷だったと伝えられています。

武蔵の井戸跡
名称 武蔵の井戸跡/むさしのいどあと
所在地 熊本県熊本市中央区千葉城町
電車・バスで JR熊本駅から熊本市電健軍町行きで13分、市役所前下車、徒歩8分
ドライブで 九州自動車道益城熊本空港ICから約9km
駐車場 なし
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

武蔵塚公園

熊本県熊本市にある宮本武蔵の墓、武蔵塚を中心に築かれた公園が武蔵塚公園。小倉藩から熊本藩に加増移封となった熊本藩主・細川忠利(ほそかわただとし)に招かれて肥後で晩年を過ごした宮本武蔵は、正保2年(1645年)、「恩顧をこうむった藩主の江戸参

立田自然公園・宮本武蔵供養塔

熊本県熊本市にある宮本武蔵の葬儀が行なわれた泰勝寺(たいしょうじ)の跡、立田自然公園にあるのが宮本武蔵供養塔。熊本藩主・細川忠利(ほそかわただとし)に招かれ晩年を肥後(熊本)で過ごした宮本武蔵は、正保2年(1645年)に亡くなり、藩主細川家

霊厳洞

熊本県熊本市、雲巌禅寺(うんがんぜんじ)の境内、奥の院にある洞窟・霊岩洞( れいがんどう )は、寺よりも歴史が古く、その昔、中国から四面馬頭観世音像を運んだとき、舟が転覆し観音像が漂着、この霊巌洞に安置されたと伝えられています。宮本武蔵が霊

 

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