天草市河浦町の﨑津地区は、静かな港町であるとともに江戸時代よりキリスト教を信仰厚く守ってきた潜伏キリシタンの町。「天草の﨑津集落」として世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産になっています。その中心的な存在が、背後の海に溶け込み「海の天主堂」とも呼ばれ﨑津教会(﨑津天主堂)です。
現存する﨑津教会は昭和9年、協会建築に長けた鉄川与助の建築
永禄12年(1569年)、ルイス・デ・アルメイダ神父(Luís de Almeida)によってキリスト教の布教が行なわれた﨑津地区。
キリシタン大名・小西行長が領有する地ということもあって、天正15年6月19日(1587年7月24日)に豊臣秀吉が発布したバテレン追放令後も宣教師を庇護していました。
禁教時代に勃発した島原・天草の乱の際にも、隔絶した﨑津地区には情報がもたらされなかったため、戦闘への参加はなく、結果として文化2年(1805年)の「天草崩れ」(﨑津・今富・大江・高浜の四郷10669人中5205人の潜伏キリシタンが摘発)まで、処罰なく潜伏キリシタンの道を歩んでいました。
明治6年に禁教令が廃止されると、カトリックへの復帰が行なわれ、明治13年、﨑津諏訪神社の隣に小さな小屋のような教会が建立されました。
漁港近くに建つゴシック風の教会は明治18年にも再建され、現在の教会は昭和9年にハルブ神父が建てた3代目にあたります。
建築を担ったのは、長崎県南松浦郡魚目村(現新上五島町)出身の大工棟梁・鉄川与助(てつかわよすけ)。
建てられた土地は、ハルブ神父の強い希望で、弾圧の象徴である絵踏(えぶみ)が行なわれた吉田庄屋役宅跡が選ばれています。
寛永15年(1638年)の禁教令以降の禁教時代に厳しい絵踏が行なわれた場所に、祭壇を配置したのです。
﨑津集落では、激しい弾圧を受けながらも明治維新に至るまで240年間に渡って「潜伏キリシタン」として信仰を守り続けたのです。
内部の床は畳敷きで、現在、約90世帯300人のキリスト信者の祈りの場所として、日曜朝(8:00~9:30)にはミサが行なわれています。
見学を希望の場合は、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター(TEL095-823-7650/9:30~17:30)に連絡が必要です。
﨑津教会 | |
名称 | 﨑津教会/さきつきょうかい |
所在地 | 熊本県天草市河浦町崎津574 |
関連HP | 天草市公式ホームページ |
電車・バスで | 富岡港から天草産交バス一町田行きで1時間15分、教会入口下車、すぐ |
ドライブで | 富岡港から約28km。または、九州自動車道松橋ICから約104km |
駐車場 | 﨑津集落ガイダンスセンター(19台/無料)、臨時駐車場(90台/無料) |
問い合わせ | 﨑津集落ガイダンスセンター TEL:0969-78-6000 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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