「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の23構成資産のひとつが熊本県荒尾市・福岡県大牟田市にある三井三池炭鉱の万田坑跡(まんだこうあと)。三井の総力を挙げて整備された、わが国最大規模の竪坑で、明治32築の第一竪坑櫓、明治41築の第二竪坑櫓が現存し、国の重要文化財、経済産業省の近代化産業遺産に認定されています。
100余年前の最先端技術が集結
三池炭田が本格的に採炭を始めたのは、明治6年の官営化後。
明治22年には三井に払い下げられ、以降国内随一の炭鉱に成長します。
万田坑・第一竪穴の開削が始まったのは、明治30年のこと。
明治41年4月には万田坑のシンボルといわれる、第二竪坑櫓も完成。
巻揚機を据え付け、運転が開始されました。
その後、完成したばかりの三池港との間に、石炭運搬用の専用鉄道も開通。
大正昭和にかけては各施設が電化され、出炭量も増大。
当時としては最大級の炭鉱施設だったのです。
昭和26年には採炭中止、平成9年に閉山するも、第二竪坑と櫓、巻揚機、倉庫やポンプ室、浴室、事務所などが保存され、見学が可能。
また汽罐場跡や坑内のトロッコ軌条も残り、炭鉱システムの全貌が分かる、生きた教材となっています。
日本の近代成長を支えた産業遺産
文明1年(1469年)、農夫が山で焚き火をした際に「燃える石」を見つけたというのが、三池における石炭発見伝説。
江戸中期には製塩の燃料、幕末には蒸気船の燃料として、九州諸藩の有力な財政基盤となりました。
当時は、石炭が地表に露出しているところ(露頭炭)から掘り始め、石炭の厚み分だけ掘るという、実に原始的な手法がとられていました。
坑路の形状がまるで狸の巣穴のようだったことから、俗に狸掘りと呼ばれています。
このような原始的な採炭や運搬方法が、第一次世界大戦後には大きく機械化されていきますが、その過程では、馬による石炭運搬が、実はかなりの長きに渡って行なわれていたのです。
そんなところにも、馬産地・熊本の歴史が垣間見られるます。
第一竪坑口と第一竪坑跡、汽罐場跡、選炭場跡、坑内トロッコ軌道敷などの一連の工程を構成する施設群は国の史跡。
第二竪坑櫓、第二竪坑巻揚機室、倉庫及びポンプ室、安全灯室及び浴室、事務所、山ノ神祭祀施設は建造物として国の重要文化財に指定されています。
経済産業省は、「産炭地域の特性に応じた近代技術の導入など九州・山口の石炭産業発展の歩みを物語る近代化産業遺産群」のなかの三池炭鉱関連遺産として宮原坑跡、宮浦坑跡、三井港倶楽部、三池港および三池港閘門・ドック施設、三川坑跡、旧三川電鉄変電所などとともに近代化産業遺産に認定しています。
世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」としては「三池炭鉱、三池港」(Miike Coal Mine and Miike Port)として、三池炭鉱宮原坑、三池炭鉱専用鉄道敷跡、三池港とともに構成資産になっています。
万田坑跡 | |
名称 | 万田坑跡/まんだこうあと |
所在地 | 熊本県荒尾市原万田213-31 |
関連HP | 荒尾市公式ホームページ |
電車・バスで | JR荒尾駅からタクシーで7分 |
ドライブで | 九州自動車道南関ICから約16km |
駐車場 | 72台/無料 |
問い合わせ | 万田坑ステーション TEL:0968-57-9155/FAX:0968-57-9156 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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