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海上マリア像

海上マリア像

熊本県天草市河浦町﨑津、有名な﨑津教会の建つ、﨑津漁港(世界文化遺産「天草の﨑津集落」)の入口、番所の鼻の突端に立つのが海上マリア像。﨑津集落は、禁教時代に仏教、神道、キリスト教が共存し、漁村特有の信仰形態を育んだ集落で、その復活の象徴的な景観のひとつが、この海上マリア像です。

正式名は「海の星なる聖母」像で、漁師を導く案内人

「天草夕陽八景」マリア像の夕陽

禁教時代の潜伏キリシタンは、デウスを「豊漁の神」として崇拝し、漁村特有の信仰を育みましたが、今も港に出入りする漁船を見守るのがこの海上マリア像。
昭和49年に建立されたものですが、今も漁師は漁に出る時、豊漁と漁の安全を願って、祈りを捧げています。
正式名は「海の星なる聖母」像。
Stella Maris(ステラ・マリスの聖母=和訳して「海の星なる聖母」)で、聖母マリア(イエス・キリストの母)の古来の呼び名で、もともと、聖母マリアは海を旅する人、海で生計を立てる漁師たちの案内人という信仰があったのです。

4月〜9月の間は、きんつ市場集合で「海上マリア像クルーズ」、﨑津教会見学のツアーも行なわれ、海上マリア像を間近に見学することができます。
また、マリア像側に落ちる夕日を見学する東側場所が、「マリア像の夕陽」として天草市の「天草夕陽八景」に数えられています。

海上マリア像が立つ岬は、遠見番所(見張り番所)の跡

海上マリア像が立つ場所が、番所の鼻と呼ばれるのは、江戸時代に遠見番所の見張り番所が置かれていたから。

天草代官・鈴木重成(すずきしげなり=島原の乱で原城攻撃に参加、一番乗りの武功をあげ、天草の代官に)は、寛永18年(1641年)、富岡、大江、魚貫の3ヶ所に遠見番所を設けていますが、海舶互市新令(長崎新令)が出された2年後の享保2年(1717年)、牛深(管轄は中田から魚貫まで)、﨑津(管轄は小田床から一町田、亀浦の浦河内)に番所を増設して、異国船、海賊船、密輸船、難破船を監視しました。
山上には急を告げる狼煙台(のろしだい)があり、狼煙の通信ネットワークで長崎奉行所に連絡が届くシステムでした。

海上マリア像
名称 海上マリア像/かいじょうまりあぞう
所在地 熊本県天草市河浦町崎津
関連HP 天草宝島観光協会公式ホームページ
ドライブで 富岡港から約28km。または、九州自動車道松橋ICから約104km
問い合わせ 天草市河浦支所 TEL:0969-76-1111
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

﨑津教会

天草市河浦町の﨑津地区は、静かな港町であるとともに江戸時代よりキリスト教を信仰厚く守ってきた潜伏キリシタンの町。「天草の﨑津集落」として世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産になっています。その中心的な存在が、背後

﨑津集落

熊本県天草市にある「天草の﨑津集落」は、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産になっています。日本の渚百選「キリシタンの里 﨑津」、日本のかおり風景100選「河浦 﨑津天主堂と海」にも選定されるほか、隣の今富集落と

﨑津漁港

熊本県天草市河浦町﨑津にあるのが﨑津漁港。キリスト教の潜伏期から復活期の足跡が残る﨑津集落は、世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産のひとつで、一帯の漁村風景は、平成8年に「日本の渚百選」、平成13年には「日本のかおり

教会の見えるチャペルの鐘展望公園

天草市河浦町の﨑津教会(﨑津天主堂)から、505段の石段を上った標高93mの小高い丘にあるのが「教会の見えるチャペルの鐘展望公園」。世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産になっている「天草の﨑津集落」を一望にする展

天草西海岸サンセットライン

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