熊本県阿蘇郡高森町にある古社が、草部吉見神社(くさかべよしみじんじゃ)。鳥居から石段を130段下ったところに社殿がある「下り宮」で、鵜戸神宮(宮崎県日南市)、一之宮貫前神社(群馬県富岡市)とともに日本三大下り宮にも数えられています。
阿蘇開闢の歴史を秘める高森町の古社
社伝によれば神武天皇の皇子(『古事記』による)・日子八井命(ひこやいのみこと/彦八井耳命とも、阿蘇では国龍神、草部吉見神とも)が神武天皇東征の際、高千穂から五ヶ瀬川に沿ってこの地に至り、池の大蛇を退治して宮居を定めた地としています。
ただし、紀元前288年(孝霊3年)のことで、全国にはまだ古墳もない、弥生時代の始まり(戦前の時代設定では、神武69年、縄文時代晩期ということになり、まったく整合性がありません)。
日子八井命も『日本書紀』に記載のない皇子なので、社伝の域を出ない話です。
社殿の裏手には幹回り7.7m、樹高40mを超す御神木の大杉がそびえ立ち、古社であることを示しています。
また境内には御塩井という湧水があり、吉見という名は、「吉い水」に由来するという有力な説があります。
日子八井命は水を自在に操る力を持つとされることから、霊水がもともとの祭祀の本体で、その霊水のある場所に社を創建したために下り宮となったとも推測できます。
下り宮の社殿は、戦国時代の弘治3年(1556年)、土地の豪族・甲斐親成によって造営され、明和9年(1772年)、里人らによって現在の社殿に補修されたことが棟礼から判明しています(近年では昭和51年に大改修)。
神社の東側、歩いて数分の場所には、日子八井命の陵(みささぎ)とする草部吉見山陵があり、杉の古木が生い茂り、玉垣で囲まれています。
7月31日の『夏季大祭』では地引原の御仮屋まで神輿の御幸、10月17日の『秋季大祭』では社殿横の広場で大神御手相撲が奉納されます。
また両日とも社殿前の神楽殿で岩戸系の『草部吉見神楽』(高森町の無形文化財)33座が奉納されています。
草部吉見神社の近くを走る国道325号は阿蘇(阿蘇神社)と高千穂(高千穂神社)を結ぶ、まさに神話街道。
その途中に位置する草部吉見神社は、阿蘇谷開拓の歴史を秘めた神社であることは間違いありません。
『夏季大祭』で神輿を先導するのは、猿田彦ではなく白装束の旧家・木本家の人ですが、日子八井命が草部に入った時、先導役を務めたのが木本家だと伝えられています。
草部吉見神社 | |
名称 | 草部吉見神社/くさかべよしみじんじゃ |
所在地 | 熊本県阿蘇郡高森町草部2175 |
電車・バスで | 南阿蘇鉄道高森駅からタクシーで20分 |
ドライブで | 九州自動車道熊本ICから約53km、益城熊本空港ICから約65km |
駐車場 | あり/無料 |
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