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一乗寺下り松

京都、一乗下り松町の地名の由来となった松の古木が一乗寺下り松。現在の松の木は4代目。京都側からの比叡山登山口の道しるべとして立つこの1本の木は、古くは『平家物語』や『太平記』にも登場しています。もっとも馴染み深いのは、吉川英治の小説『宮本武蔵』。小説ではここが宮本武蔵と吉岡一門の決闘の地ということに・・・。

一乗寺下り松は、京と近江を結ぶ交通の要衝

吉川英治の小説『宮本武蔵』には、1604(慶長9)年、剣豪・宮本武蔵と吉岡清十郎の門弟たちが、決闘の際に立ち寄った場所と記され、木の根元には「宮本・吉岡決闘之地」の石碑も立つ。
つまりは吉川武蔵ファンには必見のスポットになっているのです。

一乗寺下り松は平安時代からの京と近江を結ぶ交通の要衝。
下り松で道は二分し、北の白鳥越え、東の今道越えで比叡山を乗り越して近江へと通じていました。

武蔵・吉岡一門の決闘は本当にあった!?を古文書で検証

宮本武蔵の養子・宮本伊織が武蔵の菩提を弔うために、1654(承応3)年に豊前国小倉藩手向山山頂に建立した「小倉碑文」には、
「吉岡が門生、寃を含み密語して云く、兵術の妙を以ては、敵對すべき所に非ず、籌を帷幄に運らさんと。而して、吉岡又七郎、事を兵術に寄せ、洛外下松邊りに彼の門生数百人を會し、兵仗弓箭を以て、忽ち之を害せんと欲す」
と記されています。
この碑文が建立されたのは決闘から50年後。

宮本武蔵の伝記である『二天記』には「依テ吉岡門弟恨ミヲ含ミテ、清十郎ガ子又七郎ト組シ、數十人兵仗弓箭ヲ携へ、下リ松ニ會ス。武藏又七郎ヲ斬殺シ、徒黨ノモノヲ追退ケ、威ヲ振ヒテ洛陽ニ歸ル。於斯吉岡ガ家断絶ス」と記されていますが、『二天記』が記されたのは決戦から172年後の1776(安永5)年のこと。

1755(宝暦5)年、肥後細川藩の筆頭家老・松井家の二天一流兵法師範の豊田正脩が著した宮本武蔵の伝記『武公伝』(ぶこうでん)には「因之吉岡ガ門弟冤ヲ含、清十郎ガ子又七郎ト事ヲ兵術ニ寄テ、洛外下松ノ辺ニ會シ、彼門生數百人、兵仗弓箭ヲ以テ欲害之。武公察之、又七郎ヲ切弑シ彼門弟ヲ追奔シテ、威ヲ震フテ洛陽ニ帰ル。於是、吉岡兵法家泯絶ス」と記されています。

以上の裏付けから吉川英治はこの決闘を小説に取り入れたのです。

一乗寺下り松 3つのチェックポイント

剣豪・宮本武蔵と吉岡清十郎の門弟たちと決闘の場
平安時代からの比叡山越えの古道が通る
初代の松は昭和20年に枯れ、現在は4代目

一乗寺下り松
名称 一乗寺下り松/いちじょうじさがりまつ
Ichijoji Sagarimatsu
所在地 京都府京都市左京区一乗寺下リ松町
電車・バスで JR京都駅から市バスで49分、一乗寺下り松町下車、徒歩4分。または叡山電鉄叡山本線一乗寺駅から徒歩7分
ドライブで 名神高速道路京都南ICから約17km
駐車場 なし
問い合わせ 京都いつでもコール TEL:075‐661‐3755
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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