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護王神社

護王神社

京都御苑の西側を通る烏丸通(からすまどおり)に面した護王神社。平安京造営に貢献した、和気清麻呂(わけのきよまろ)が祀られる神社です。護法善神」として祀られたかつての社殿は神護寺の境内にありましたたが、神仏分離令を経て明治19年に、明治天皇の勅命で現在地に遷座しています。

足腰の病気平癒、育児の神様としても有名

明治7年、神護寺境内にあった和気清麻呂の廟は、神仏分離で護王神社と改称。
明治19年に明治天皇の勅命により、神護寺境内から京都御所蛤御門前に遷座しています。
皇統の断絶という日本最大の危機を救った人物、つまりは「護王」ということで、明治維新とともに忠臣愛国の気運を高めるために再評価されたのです。

和気清麻呂が宇佐神宮(現・大分県宇佐市)を訪れる際、300頭の猪が道鏡の刺客から清麻呂を守り、宇佐まで案内し、足の病気が治ったという故事から、狛犬ならぬ「狛猪」が出迎えてくれます。

授与品は足、腰のお守り。
また別名「子育て明神」とも呼ばれ、地元では育児の神様としても信仰を集めています。
授与品に足腰の神札、足腰の袋お守り、健脚お守りなど。

4月4日に例大祭『護王大祭』斎行

4月4日は西暦で和気清麻呂の命日にあたり、例大祭『護王大祭』が行なわれています。
神護景雲3年(769年)、「道鏡を皇位につければ、天下泰平となる」という宇佐八幡宮(宇佐神宮)の神託があったと、偽の神託をでっちあげた弓削道鏡に対し、勅使として和気清麻呂が宇佐八幡宮に赴き、真の神託を受けて、その企みをしりぞけた事に因んだ祭事。

当時、称徳天皇(女帝)と道鏡の間柄は都中に知れ渡った関係。
宇佐八幡宮の真の信託は、藤原一族の巻き返しともいわれますが、称徳天皇の怒りをよび、清麻呂は大隅国(現在の鹿児島県大隅半島)に流されています。

称徳天皇が没し、道鏡失脚後、清麻呂は復権し、さらに桓武天皇の時代になって昇進し、神崎川と淀川を直結させる工事を行ない、大阪湾から長岡京方面への物流路を確保するなど土木工事にも手腕を発揮。
明治維新後、道鏡の野望を砕き天皇制を守った実直な官僚として崇拝されることに。

天皇が即位したときの宇佐神宮への報告(奉幣の勅使)は和気氏の子孫が担い、正五位下以上の位の人物がこれにあたり「宇佐和気使」(うさわけのつかい)と呼ばれています。

護王神社 3つのチェックポイント

平安京造営の功労者・和気清麻呂を祀る
「いのしし神社」として知られている
足腰の病気・怪我回復にご利益大!

護王神社
名称 護王神社/ごおうじんじゃ
Gooujinja Shrine
所在地 京都府京都市上京区桜鶴円町385
関連HP 護王神社公式ホームページ
電車・バスで 地下鉄烏丸線丸太町駅から徒歩7分
ドライブで 名神高速道路京都南ICから約9km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 護王神社 TEL:075-441-5458/FAX:075-414-0255
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

宇佐神宮

2018年6月17日

神護寺

2018年6月17日

 

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