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大内峠一字観公園

天橋立の西側、与謝野町の高台、大内峠にある展望台が大内峠一字観公園。東に位置する雪舟観展望所とは逆に、昇る朝日とともに見る光景が絶景の場所。股のぞき発祥の地といわれ、宮津湾と阿蘇海を横一文字に区切る天橋立を眺望。傘松公園、雪舟観展望所ともに天橋立三大景に数えられ、飛龍観展望台を加えて天橋立四大観になっています。

股のぞき発祥の地といわれる峠は与謝野鉄幹も絶賛の絶景

丹後天橋立大江山国定公園の世屋高原の一角にある大内峠。
一帯は公園として、展望デッキのある見晴らしのゾーン、パノラマコテージ、テントサイトや炊事棟などが整備された体験のゾーン、近畿自然歩道や長命いっぷく名水のある出会いのゾーンが整備されています。

バルコニーから天橋立が横一文字に眺められる、パノラマコテージ(5棟)もエコノミーな料金で人気です。

与謝野鉄幹・晶子夫婦の歌碑も立っており、ふたりの詠んだ歌は、
「楽しみは 大内峠に きわまりぬ まろき入り江と ひとすじの松」(寛)
「海山の 青きが中に 螺鈿(らでん)おく 峠の裾の 岩滝の町」(晶子)
昭和5年5月、鉄幹58歳、晶子53歳のときの作品です。

その与謝野鉄幹は、この大内峠の景観を絶賛。
「天橋立の楽しみ方はさまざまですが、大内峠に極まります。
丸い阿蘇海の入江の中にただ一筋、松の緑一色に彩られた橋立が真一文字に走る様」(与謝野鉄幹の歌の現代語訳)。

伝「股のぞき発祥の地」

大内峠には、小野小町が大内峠で用を足した時、股の間から天橋立を見たことが「股のぞき」が有名になったきっかけ、という言い伝えがあります。

平安時代を代表する六歌仙の一人・小野小町は妙性寺(京丹後市)の縁起によれば、晩年に都を離れ、天橋立を目指し、五十河(いかが=現在の京丹後市大宮町)で没したとあり、五十河には小町の墓と伝えられる小町塚や、小町が開基したといわれる妙性寺が残されています。
大内峠妙見宮には「股のぞき発祥の地」の石碑も立っているので、ぜひ記念写真を。

大内峠一字観公園
名称大内峠一字観公園/おおうちとうげいちじかんてんぼうだい
所在地京都府与謝郡与謝野町弓木
関連HP与謝野町観光協会公式ホームページ
電車・バスで京都丹後鉄道宮豊線天橋立駅からタクシーで20分
ドライブで山陰近畿自動車道与謝天橋立ICから約5.2km
駐車場30台/無料
問い合わせ大内峠一字観公園管理事務所 TEL:0772-46-0052
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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