室町幕府8代将軍・足利義政が、祖父・足利義満の北山殿(金閣寺)にならって1482(文明14)年に建てた山荘、東山殿が前身の名刹、慈照寺(銀閣寺)。義政の死後、遺言によって臨済宗相国寺派の寺院となったもの。1489(長亭3)年に上棟した銀閣は宝形造り二層楼の観音殿で国宝。世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産のひとつ。
銀閣と庭園に東山文化の真髄が凝縮!
正式名称は、東山慈照寺で、相国寺の塔頭寺院のひとつ(実は金閣寺も相国寺の塔頭)。
足利義政は銀閣の完成を見ずして没していますが、遺言通り臨済宗の寺院となった際、義政の法号・慈照院にちなんで慈照寺と名付けられました。
銀閣と呼ばれるは、金閣に対してその名が付いたのですが、実は西芳寺の瑠璃殿を模して造られたもので、銀箔を貼られることはありませんでした。
銀閣の2層には観音菩薩坐像(洞中観音)を東向きに安置することから、慈照寺観音殿が正しい名前。
足利義政は自らの宗教観を慈照寺観音殿に託し、1層を心空殿(しんくうでん)、2層を潮音閣(ちょうおんかく)と命名しています。
金閣に対し、銀閣と呼ばれるようになったのは江戸時代以降のこと。
建築当初は銀閣の南側に池があり、池を挟んで南側から観音像を拝む形だったと推測されています。
境内には善阿弥の庭園や、白砂が盛られた銀沙灘、向月台も
境内には室町時代の庭師・善阿弥(ぜんあみ)作といわれる見事な庭園があり、上段は枯山水、下段は池泉回遊式庭園(国の特別名勝・国の特別史跡に重複指定/金閣寺の庭と同様)となっています。
庭の北にある東求堂(とうぐどう)は、1486(文明18)年の建立、日本最古の書院造りで内部にある足利義政の書斎「同仁斎」は、四畳半茶室の原型。
東求堂は予約により拝観できるほか本堂の襖絵とともに秋(10月上旬〜12月上旬)に特別公開がされています。
現存する創建時の建物は銀閣と東求堂のふたつ。
室町時代の風流が伝わってきます。
銀閣前にふたつの白砂が盛られているがこれが銀沙灘(ぎんしゃだん)と向月台。
室町末期か江戸時代初期に池の砂を浚渫して造られたと伝えられています。
銀沙灘は月の光を銀閣に反射させるためのもの、向月台は東山に昇る月を座って待つ場所といわれていますが、ともに俗説です。
庭園東側の最高所には境内を一望する場所があるので、そこに立って真相をのんびりと推理するのもいいでしょう。
慈照寺(銀閣寺) 3つのチェックポイント
東山文化を代表する寺で世界遺産に登録
慈照寺が正式名ですが江戸時代から銀閣寺として有名
観音菩薩坐像を安置する観音殿の銀閣は国宝
慈照寺(銀閣寺) | |
名称 | 慈照寺(銀閣寺)/じしょうじ(ぎんかくじ) Jisho-ji Temple(Ginkaku-ji Temple) |
所在地 | 京都府京都市左京区銀閣寺町2 |
関連HP | 臨済宗相国寺派公式ホームページ |
電車・バスで | JR京都駅から市バスで、銀閣寺前下車、徒歩5分で総門 |
ドライブで | 名神高速道路京都東ICから約7.5km |
駐車場 | 市営銀閣寺観光駐車場(40台/有料) |
問い合わせ | 慈照寺(銀閣寺) TEL:075-771-5725/FAX:075-771-5439 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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