嵐山の渡月橋の北、広大な寺地を誇るのが臨済宗天竜寺派の総本山、天龍寺。1339年(延元4)、足利尊氏(あしかがたかうじ)が後醍醐天皇供養のため、夢窓国師を開山とし後嵯峨天皇の仙洞御所、亀山上皇が仮御所を禅寺に改めた名刹。京都五山の第一位で、世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産にもなっています。
足利尊氏が日元貿易の莫大な利益をつぎ込んだ寺
貞和元年8月29日(1345年9月25日)、後醍醐天皇七回忌にあわせて落慶供養が行なわれた天龍寺。
足利尊氏の寄進だけでは建築資金が不足したため、元寇以来途絶えていた元との貿易を復活させ、天龍寺船(「造天龍寺宋船」)による日元貿易で得た資金を寺の建立資金としています。
足利幕府はそのために瀬戸内の海賊を取り締まるという大規模なプロジェクトを実施したのです。
いかに天龍寺が重要な寺だったのかがよく分かるエピソードです。
当時、京都五山の第一位だった天龍寺は、足利幕府の尊崇を背景に嵐山全体が天龍寺の境内だったというほど広大な寺領と勢力をふるっていました(京都五山第二位・相国寺、第三位・建仁寺、第四位・東福寺、第五位・万寿寺、別格・南禅寺/足利氏の政治、政略的な格付けとなっていました)。
子院150ヶ寺を数えたその勢いも、足利幕府とともに衰退(苔寺として有名な西芳寺は境外塔頭)。
さらに、応仁の乱など8度に渡る兵火で創建当時の建物は残念ながらほとんど残っていません。
幕末の1864年(元治元)、「蛤御門の変」(はまぐりごもんのへん=禁門の変、京を追放されていた長州藩が会津藩主・京都守護職松平容保らの排除を目指して挙兵)では長州兵の陣所となり、堂宇を焼失。
庭園は国の特別名勝及び史跡
現在の法堂(はっとう)、大方丈、庫裡(くり)は明治32年に再建されたもの。
庫裏の玄関に入った正面に置かれる大衝立の達磨図は前管長・平田精耕老師の筆によるもの(方丈の床の間などに同じ達磨図があります)。
方丈には藤原時代の釈迦如来坐像を安置。
法堂天井には、平成9年に法堂移築100年・夢窓国師650年遠諱記念事業として加山又造画伯が『雲龍図』を描いています。
往時のままに残された方丈裏庭(特別名勝及び史跡)は、曹源池(そうげんち)を中心に亀山や嵐山を借景にした池泉回遊式で、池に組まれた岩石は渓谷と滝を表しています。
日本で最初に特別名勝及び史跡に指定された歴史ある庭園です。
4月上旬〜中旬の枝垂桜、7月上旬〜8月上旬の方生池の蓮も見事。
友雲庵(ゆううんあん)では毎月第2日曜9:00〜、1時間の坐禅会が行なわれ、禅の講義である提唱が続く10:00〜あり、無料で参禅が可能です。
ちなみに精進料理店「篩月」(しげつ)は、天龍寺直営の店。
手軽な一汁五菜から、本格的な一汁七菜まで用意されています。
一汁五菜より品数が多い場合には2名以上で前日までに予約が必要。
夢窓国師は天龍寺船による貿易での利益を寺院建築に注ぎ込んだ。
庭園も西芳寺庭園の築庭と並行してこの庭を造り、滝の石組み(龍門瀑=方丈からみた曹源池中央正面には2枚の巨岩を立てて滝としています)は西芳寺庭園(上段部分の枯山水)にも見られるもの。
鎌倉時代に生まれた禅様式の新しい石組みを夢窓国師が導入しています。
天龍寺 3つのチェックポイント
世界遺産「古都京都の文化財」構成資産
京都五山の第一位
方丈庭園は夢窓国師の作庭
天龍寺 | |
名称 | 天龍寺/てんりゅうじ Tenryu-ji Temple |
所在地 | 京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68 |
関連HP | 天龍寺公式ホームページ |
電車・バスで | 京福嵐山本線嵐山駅から徒歩2分、JR嵯峨嵐山駅から徒歩12分、阪急嵐山線嵐山駅から徒歩15分。JR京都駅から京都バスで45分、京福嵐山駅前下車、すぐ。JR京都駅から市バスで45分、嵐山天龍寺前下車、すぐ。 |
ドライブで | 名神高速道路京都南ICから約13km |
駐車場 | 天龍寺駐車場(100台/有料) |
問い合わせ | 天龍寺 TEL:075-881-1235/FAX:075-864-2424 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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