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神護寺

神護寺

京都、愛宕山系の高雄山の中腹にある真言宗の別格本山が神護寺(じんごじ)。高雄、槇尾、栂尾の三尾(さんび)きっての古刹で、天応元年(781年)の創建。もとは平安遷都に尽力した和気清麻呂(わけのきよまろ)の氏寺で大同4年(809年)から14年間空海が住持した名刹。空海が東寺や高野山の経営にあたる前のことです。

最澄、空海ゆかりの名刹で、時代劇のロケ地としても有名

元和9年(1623年)建立の楼門
元和9年(1623年)築の五大堂(手前)と毘沙門堂
本尊薬師如来立像(国宝)を安置する金堂は昭和9年の再建

寺伝によれば宇佐八幡大紳の神託で、和気清麻呂が創建したという古刹。
最澄が法華経の講義をするなど、草創期には最澄、空海といった遣唐使帰りの僧が寺に入っています。

愛宕五寺(愛宕五坊)高雄山寺(神護寺)のほか、白雲寺、月輪寺、日輪寺、伝法寺が山中にはありましたが、現存しているのは神護寺と月輪寺だけとなっています。

空海は唐から戻ると、京に入り、まず高雄山寺(神護寺)に招かれて、鎮護国家の修法を行なっています。
並行して空海は、弘仁7年(816)、修禅観法の道場として高野山の開創に着手し、弘仁14年(823年)には鎮護国家の道場として東寺を賜っています。
天長元年(824年)、寺名を神護国祚真言寺(略して神護寺)と改名。

空海の入寂した後、正暦5年(994年)、久安5年(1149年)に大火にあい、さらに鳥羽法皇の怒りに触れて一時荒廃しましたが、平安末期に文覚上人が再興し、後白河法皇や源頼朝らの援助を受けています。

神護寺の正式名「神護国祚真言寺」は、八幡神の加護により鎮護国家を祈念する真言の寺という意味。
清滝川に架かる高雄橋から350段の石段を含め、長い参道を歩いた山中に仁王門、毘沙門堂、大師堂、金堂、多宝塔、鐘楼などの堂宇が並んでいます。
とくに金堂へ通じる石段は時代劇のロケ地として定番。

国の重要文化財に指定された大師堂は平安末期の建築。
その他の堂宇は応仁の乱で焼失し、元和9年(1623年)など江戸時代以降の再建。

秋の高雄を彩る名刹

金堂へと続く石段
楼門へと続く石段
ここから谷に向かってかわらけを投げます
眼下の谷にかわらけを飛ばします

境内の地蔵院から一望できる錦雲渓の眺めもまさに絶景。
地蔵院横の展望台では歴史ある「かわらけ投げ」が楽しめます。
錦雲峡の谷に向かって素焼きの皿(地蔵院亭茶屋で販売)を投げ、厄を落とすもの。
ここがかわらけ投げ発祥の地ともいわれていますが定かでありません。

境内に和気公霊廟がありますが、明治の神仏分離を受けて護王善神堂は護王神社に改称され、さらに明治19年に明治天皇の勅令で、京都御苑蛤御門前に遷座しています。

国宝の薬師如来像をはじめ、平安、鎌倉時代の仏像、絵画、書跡など国宝が数多く残されています。
国宝に指定された梵鐘は日本三名鐘の一つ。
「銘の神護寺」、「形の宇治平等院」、「音の三井寺」といわれ、貞観17年(875年)に鋳造されたもの。
詞書を橘広相(たちばなのひろみ)、八韻の銘一首を菅原是善(すがわらのこれよし=平安時代前期を代表する文人)、藤原敏行(ふじわらのとしゆき=小野道風が古今最高の能書家と絶賛)が揮毛(きごう)したことが「銘の神護寺」の由来。
当時、三絶と呼ばれた大家3人が関わっていることから「三絶の鐘」の別名も。

地蔵院の庭から眺める錦雲渓など、京都屈指の紅葉の名所として知られ、例年紅葉の見頃は11月上旬~11月下旬。

緑滴る新緑
五大堂、毘沙門堂の紅葉

神護寺 3つのチェックポイント

京都・高雄にある山寺で、新緑・紅葉の名所
空海ゆかりの古刹で時代劇のロケにも使われる
天下の絶景で「かわらけ投げ」が楽しめる

神護寺
名称 神護寺/じんごじ
Jingoji Temple
所在地 京都府京都市右京区梅ケ畑高雄町5
関連HP 神護寺公式ホームページ
電車・バスで JR京都駅からJRバス高雄・京北線(周山・栂ノ尾行き)で46分、山城高雄下車、徒歩15分
ドライブで 名神高速道路京都南ICから約17km
駐車場 京都市営高雄観光駐車場(40台/無料、11月は有料)
問い合わせ 神護寺 TEL:075-861-1769/FAX:075-862-0354
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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