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安楽寺

安楽寺

京都府京都市左京区にある浄土宗の開祖・法然上人の弟子、安楽、住蓮ゆかりの寺、安楽寺。鎌倉時代の初め、斬首に処された安楽、住蓮の菩提を弔うため、法然上人が建立した寺で、江戸時代初めに現在地に移っています。普段は非公開で、桜、つつじ、そして紅葉の時期、毎月2日などのみに特別公開。

法然の建永の法難(承元の法難)ゆかりの地

「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説き、浄土宗の開祖となった法然上人。
法然の弟子、安楽と住蓮が開いたのが鹿ヶ谷草庵(現在の安楽寺の東1kmの地)で、この地でふたりは念佛三昧の別行を修し、唐の善導大師(ぜんどうだいし)の往生礼讃(おうじょうらいさん=極楽浄土へ往生を願う儀礼)に基づいて1日を6つに分け、大原魚山(天台宗)の礼讃声明(らうさんしょうみょう)の美しい旋律を転用して六時礼讃(ろくじらいさん)を唱え、布教を開始したのです(山門前の石柱には、「浄土礼讃根元地」と刻まれています)。

建永元年(1206年)12月、後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中、後鳥羽上皇の寵愛も深かった御所の女官である松虫、鈴虫は御所から抜け出して「鹿ケ谷草庵」にて行なわれていた念仏法会に参加。
安楽、住蓮を慕って出家し、上皇の逆鱗に触れるという事件が起こります。

女房たちは遵西・住蓮と密通したという噂が流れ、後鳥羽上皇は激怒。
これが建永の法難(承元の法難)で、法然上人は讃岐国へ流罪、鈴虫を剃髪した安楽は京・六條河原で斬首、松虫を剃髪した住蓮は近江国馬渕縄手(滋賀県近江八幡市)で斬首となっています。
法然は、建暦元年(1211年)に讃岐国からようやく京に戻り、荒廃した遵西・住蓮の鹿ケ谷草庵跡に弟子であるふたりの菩提所として庵を結びます。
これが安楽寺の始まりで、住蓮山安楽寺とはふたりの名に由来する山号、寺号なのです。
その後、盛衰があり、堂宇が整ったのは天文年間(1532年〜1555年)のこと。

松虫、鈴虫の行く末は定かでなく、瀬戸内海の生口島(尾道市)に落ちのびたともいわれ、光明坊(広島県尾道市瀬戸田町)には松虫、鈴虫と伝えられる墓も現存しています。

法然院の南、哲学の道から少し入ったところにあり、紅葉の時期には、同じく特別公開される霊鑑寺とともに哲学の道の散策途中に立ち寄るのに絶好。

毎月2日は、くさの地蔵をお祀りする地蔵堂の再建を記念して平成27年から始まった『くさの地蔵縁日』で、雑貨などの露店が出店します。

中風まじない鹿ケ谷カボチャ供養

毎年7月25日に「中風まじない鹿ケ谷カボチャ供養」を厳修。

江戸時代に、安楽寺の真空上人が、夏の土用に鹿ケ谷カボチャを食べると病にかからないとの夢のお告げを受け、仏前で供養をして食したのが始まりです(明治時代まで京都でカボチャといえば鹿ケ谷カボチャでした)。
文化年間(1804年~1817年)、粟田口の農家が津軽からかぼちゃの種子を持ち帰り、鹿ヶ谷の農家に分けたところ、偏平な菊座形カボチャからひょうたん形のカボチャが生まれたのだとか。
そのカボチャは、今も北区鷹峯、綾部市などの農家で育てられている貴重な京野菜(京都府の地域伝統野菜)です。
一般の改良種のかぼちゃと比べて、栄養価が高いのが特徴。

安楽寺
名称 安楽寺/あんらくじ
所在地 京都府京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町21
関連HP 安楽寺公式ホームページ
電車・バスで 市バス岩倉操車場行きで真如堂前下車、徒歩10分
駐車場 14台/無料
問い合わせ 安楽寺 TEL: 075-771-5360/FAX: 075-771-5360
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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霊鑑寺

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