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応仁の乱勃発地

応仁の乱勃発地

応仁元年(1467年)~文明九年(1477年)の間、京を焼き尽くすほどの争乱になり、戦国時代移行の原因となった戦乱が応仁の乱。その戦火の緒戦の火蓋が切られたのが、京都市上京区の上御霊神社です。実は、当初は畠山家の家督争いにすぎませんでした。550年前の御霊合戦の場所が上御霊神社です。

畠山家の家督争いが11年にわたる戦乱へと発展!

応仁元年(1467年)1月18日、室町幕府8代将軍・足利義政の命で失脚させられた畠山政長(はたけやままさなが)は、上御霊神社で挙兵。
従兄の畠山義就(はたけやまよしひろ=足利佳正の命で家督を受け継いだ)の軍勢と激突します。
単なる家督争いともいえる衝突ですが、京を焼き尽くした応仁の乱はこの境内「御霊合戦」(上御霊神社の戦い)が発端。
畠山政長は、上御霊神社の拝殿に放火して敗走、細川勝元の屋敷に逃げ込みます。
細川勝元と山名宗全の勢力争いに発展し、室町幕府8代将軍・足利義政の継嗣争いも加わって、11年にわたる争乱「応仁の乱」へと発展します。
上御霊神社鳥居前には「応仁の乱勃発地」の石碑が立っています。

応仁の乱勃発地
名称 応仁の乱勃発地/おおにんのらんぼっぱつち
所在地 京都府京都市上京区上御霊前烏丸東入上御霊竪町4
関連HP 京都市観光協会公式ホームページ
電車・バスで 地下鉄烏丸線鞍馬口駅から徒歩5分
ドライブで 名神高速道路京都南ICから約11km
駐車場 上御霊神社境内の参拝者専用駐車場(10台/無料)を利用
問い合わせ 上御霊神社 TEL:075-441-2260/FAX:075-441-6066
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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