明智光秀が主君・織田信長を討った本能寺の変。信長が上洛の際に宿所としていた本能寺は、本能寺の変当時は現在の寺町御池ではなく、堀川四条近く、油小路通蛸薬師にありました。「本能寺跡」石碑、「此附近本能寺址」石柱も立っていますが、実は本能寺があった場所はそれよりも少し北側になります(くれぐれもご注意を!)。
本能寺のあった場所は、石碑、石柱の立つ場所の一区画北側!
油小路の東、蛸薬師通の南に建つ本能特別養護老人ホーム。
本能特別養護老人ホームの油小路側に「本能寺跡」石碑、蛸薬師通側に「此附近本能寺址」石柱が立っています。
町名も元本能寺南町と、かつてここに本能寺があったことを伝えています。
ただし実際に本能寺があったのは、南北が蛸薬師通と六角通の間、東西は西洞院通と油小路通の間ということで、このひとつ北の区域。
「BnAホテル京都」のある一角で南北に小川通が縦断していますが、本能寺のあった時代にはこの小川通はなく、ちょうど「此附近本能寺址」石柱あたりが門前で、北に本能寺の境内があったと推測できるのです。
平成15年6月2日(奇しくも信長の命日)、京都市埋蔵文化財研究所が本能小学校跡地(現在の本能特別養護老人ホームなどが建つ一角)で、戦国時代末期の惣構(そうがまえ)跡を発掘。
『洛中洛外図』では、惣構のすぐ北側に本能寺が描かれているので、北側だったことが判明し、さらにその北側のへりで能と記された軒丸瓦(のきまるがわら)などが発掘されたことにより(瓦は京都市考古資料館に収蔵展示されています)、本能寺の跡が確定したのです。
本能寺の変の舞台となった本能寺ですが、天正15年(1587年)、豊臣秀吉の京の都市改革(天正の地割=南北方向の通りの中間に新たに通りを建設し、空き地を減少させる改革)で、現在地に移転しています。
2020年のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』(明智光秀役=長谷川博己)で大注目の本能寺の変、本能寺ですが、その場所を示す「本能寺跡」石碑、「此附近本能寺址」石柱のある場所は、正確な意味で本能寺ではないので注意が必要です。
本能寺跡 | |
名称 | 本能寺跡/ほんのうじあと |
所在地 | 京都府京都市中京区小川通蛸薬師元本能寺町 |
電車・バスで | 阪急電車大宮駅・京福電車四条大宮駅から徒歩10分 |
駐車場 | なし |
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