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月輪陵

月輪陵

京都府京都市東山区泉涌寺山内町、真言宗泉涌寺派の総本山の寺、泉涌寺(せんにゅうじ)の旧境内にあるのが、宮内庁が管理する皇室の陵墓、月輪陵(つきのわのみさぎ)。月輪陵と後月輪陵(のちのつきのわのみささぎ)には合計で25の陵と9つの墓があり、後月輪東山陵は孝明天皇陵。

江戸時代の天皇はここに埋葬されている

泉涌寺を鎌倉時代の建保6年(1218年)に月輪大師・俊芿(がちりんだいし・しゅんじょう)が再興した際、後鳥羽上皇や土御門上皇、順徳上皇、後高倉院も俊芿の下で受戒し、貞応3年(1224年)、後堀河天皇は皇室の祈願寺と定めました。
南北朝時代から江戸時代には、天皇など皇室の葬儀も泉涌寺で行なわれ、とくに江戸時代の後水尾天皇から孝明天皇に至る歴代天皇の陵墓は、泉涌寺境内に月輪陵(つきのわのみさぎ)、後月輪陵(のちのつきのわのみささぎ)、後月輪東山陵(のちのつきのわのひがしのみささぎ)として築かれ、泉涌寺が管理供養していました。

明治維新後、神仏分離もあって歴代天皇・皇族の25陵・5灰塚・9墓は、皇室財産として宮内庁の管理となっています。

月輪陵・後月輪陵に眠る歴代天皇・皇族の25陵・5灰塚・9墓

・四条天皇月輪陵=石造九重塔/在位1232年〜1242年
・後土御門天皇灰塚/在位1464年〜1500年
・後柏原天皇灰塚/在位1500年〜1526年
・後奈良天皇灰塚/在位1526年〜1557年
・正親町天皇灰塚/在位1557年〜1586年
・後陽成天皇灰塚/在位1586年〜1611年
・後水尾天皇月輪陵=石造九重塔/在位1611年〜1629年
・明正天皇月輪陵=石造九重塔/在位1629年〜1643年
・後光明天皇月輪陵=石造九重塔/在位1643年〜1654年
・後西天皇月輪陵=石造九重塔/在位1655年〜1663年
・霊元天皇月輪陵=石造九重塔/在位1663年〜1687年
・東山天皇月輪陵=石造九重塔/在位1687年〜1709年
・中御門天皇月輪陵=石造九重塔/在位1709年〜1735年
・桜町天皇月輪陵=石造九重塔/在位1735年〜1747年
・桃園天皇月輪陵=石造九重塔/在位1747年〜1762年
・後桜町天皇月輪陵=石造九重塔/在位1762年〜1771年
・後桃園天皇月輪陵=石造九重塔/在位1771年〜1779年
・光格天皇後月輪陵=石造九重塔/在位1780年〜1817年
・仁孝天皇後月輪陵=石造九重塔/在位1817年〜1846年
・陽光太上天皇月輪陵=無方塔/親正親町天皇の嫡男、皇位につくことなく早世
・後水尾天皇皇后和子月輪陵
・霊元天皇皇后房子月輪陵
・東山天皇皇后幸子女王月輪陵
・中御門天皇女御贈皇太后尚子月輪陵
・櫻町天皇女御尊称皇太后舎子月輪陵
・桃園天皇女御尊称皇太后富子月輪陵
・後桃園天皇女御尊称皇太后維子月輪陵
・光格天皇皇后欣子内親王後月輪陵
・仁孝天皇女御贈皇后繋子後月輪陵
・仁孝天皇女御尊称皇太后祺子後月輪陵
・光格天皇皇子温仁親王墓
・光格天皇皇子悦仁親王墓
・仁孝天皇皇子安仁親王墓
・陽光太上天皇妃晴子墓
・後陽成天皇女御中和門院藤原前子墓
・後水尾天皇後宮壬生院藤原光子墓
・後水尾天皇後宮逢春門院藤原隆子墓
・後水尾天皇後宮新広廣門院藤原國子墓
・仁孝天皇後宮新待賢門院藤原雅子墓

月輪陵
名称 月輪陵/つきのわのみさぎ
所在地 京都府京都市東山区泉涌寺山内町27
関連HP 宮内庁公式ホームページ
電車・バスで JR東福寺駅・京阪本線東福寺駅から徒歩18分で大門、JR京都駅から市バスで13分、泉涌寺道下車、徒歩12分で大門
ドライブで 名神高速道路京都南ICから約6.5km
駐車場 30台/無料
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

泉涌寺

京都府京都市東山区、東山三十六峰の南端、緑豊かな月輪山の麓に位置する真言宗泉涌寺派の総本山が泉涌寺(せんにゅうじ)。皇室との関連が深く御寺(みてら)とも呼ばれています。寺伝によれば、空海が天長年間(824年~834年)に草庵を結び、法輪寺と

楊貴妃観音堂

京都府京都市東山区泉涌寺山内町、真言宗泉涌寺派の総本山の寺、泉涌寺(せんにゅうじ)の境内にある観音堂が楊貴妃観音堂(ようきひかんのんどう)。知る人ぞ知る京都のパワースポットで、美人祈願の観音堂。泉涌寺では「美人祈願 貝御守り」、美人祈願、開

 

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