京都府京都市東山区泉涌寺山内町、真言宗泉涌寺派の総本山の寺、泉涌寺(せんにゅうじ)の境内にある観音堂が楊貴妃観音堂(ようきひかんのんどう)。知る人ぞ知る京都のパワースポットで、美人祈願の観音堂。泉涌寺では「美人祈願 貝御守り」、美人祈願、開運、良縁など楊貴妃観音の御守も授与してくれます。
楊貴妃観音に美人祈願、良縁祈願!
楊貴妃観音堂に安置される観音像は、建長7年(1255年)、月輪大師・俊芿(がちりんだいじ・しゅんじょう=泉涌寺を再興)の弟子で泉涌寺首座を務めた湛海(たんかい)が中国(南宋)から持ち帰ったもの。
旧来は100年に一度公開される秘仏でしたが、昭和31年から逗子の扉を開いて、公開されるようになっています。
寄木造りの観音像は、手に極楽の花・宝相華(ほうそうげ)を携え、宝相華唐草(ほうそうげからくさ)の透かし彫り、その下に観音の冠を重ねた宝冠を戴き、白色の内衣と両肩と両袖を覆う上衣を纏って坐った姿。
「観音の慈悲と楊貴妃の美貌が渾然と一体になった仏像」といわれ、その美しい様相から玄宗が亡き楊貴妃を偲んで彫らせたものとの伝承があります。
ただし、平成21年、奈良国立博物館に観音像を出展するのにあわせて博物館と泉涌寺でX線検査を行なったところ、高さ114cmの観音菩薩坐像の胎内に、日本独自の風習である舎利を入れた高さ3.6cmの五輪塔が納められていることが判明(インド、中国では舎利を入れる風習がなく、日本では平安時代末期から行なわれていました)。
舎利殿に祀られる月蓋長者立像(がっかいちょうじゃりつぞう)と韋駄天立像(いだてんりつぞう)は湛海が明らかに南宋から請来したものですが、「楊貴妃観音」は日本産のヒノキを使い、俊芿が国内の仏師に命じて彫らせたという可能性も指摘されています。
あまりに美人の観音像のため、後世、楊貴妃伝説や中国から請来伝承が生まれたのかもしれませんが、明らかに日本の仏像とは異質な雰囲気な楊貴妃観音なので(文化庁も中国南宋と認定)、南宋の仏師が日本的な風習を入れ込んで制作したのかもしれません(あるいは日本で組み立て、改変されたという可能性も)。
木造観音菩薩坐像(楊貴妃観音は、舎利殿の月蓋長者立像、韋駄天立像とともに国の重要文化財に指定。
楊貴妃観音堂 | |
名称 | 楊貴妃観音堂/ようきひかんのんどう |
所在地 | 京都府京都市東山区泉涌寺山内町27 |
関連HP | 泉涌寺公式ホームページ |
電車・バスで | JR東福寺駅・京阪本線東福寺駅から徒歩18分で大門、JR京都駅から市バスで13分、泉涌寺道下車、徒歩12分で大門 |
ドライブで | 名神高速道路京都南ICから約6.5km |
駐車場 | 30台/無料 |
問い合わせ | 泉涌寺 TEL:075-561-1551 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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