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ねねの道

ねねの道

京都府京都市東山区、高台寺の西側を南北に通る高台寺北門前通は、通称が、ねねの道。一念坂、維新の道の分岐から北に祇園閣の前で屈曲しながら円山公園まで続く道で、京都らしい風情あふれる道です。ねねとは、豊臣秀吉の正室、北政所(高台院)のこと。

道の両側には北政所ゆかりの高台寺と圓徳院が

ねねの道の東側にある高台寺は、北政所(高台院)が豊臣秀吉の冥福を祈るため建立した寺で、高台寺という寺号も北政所の院号、高台院に由来しています。
ねねの道の西側にある高台寺の塔頭(たっちゅう)・圓徳院は、慶長10年(1605年)、伏見城の化粧御殿を移築し、移り住んだ北政所(高台院)の居所の跡で、北政所(高台院)終焉の地にもなった場所。
圓徳院という名は、ねねの甥・木下利房(きのしたとしふさ=ねねの兄の木下家定の次男)の院号で、木下家の菩提寺として、北政所(高台院)没後9年目に高台寺の塔頭になりました。
まさに高台寺と圓徳院の間を通る道は、ねねの道なのです。

ねねの道と1本西の下河原通を屈曲しながら結ぶ路地は、京都らしい路地の石塀小路なのでお見逃しなく。
また、ねねが圓徳院から高台寺に通った坂道は、台所坂で、知る人ぞ知る、京都屈指の味わいのある坂道です。

ねねの道は、北の祇園閣前までは、石塀小路とともに、「産寧坂伝統的建造物群保存地区」(国の重要伝統的建造物群保存地区)に指定されています。

ねねの道
名称 ねねの道/ねねのみち
所在地 京都府京都市東山区下河原町
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

石塀小路

京都府京都市東山区、高台寺の西を南北に通る高台寺北門通(「ねねの道」)とその1本西側の下河原通を繋ぐ路地が石塀小路。 明治末期から大正時代にかけて築かれたという京都らしい路地で、石畳と石塀が美しいのがその名の由来。途中で屈曲する部

圓徳院

京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺、高台寺の重要な塔頭(たっちゅう=子院)が圓徳院。慶長10年(1605年)、豊臣秀吉の北政所(ねね=出家して高台院湖月尼)の甥、木下利房(きのしたとしふさ)が、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿と前庭を移

高台寺

京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺、高台寺(正式名は高台寿聖禅寺)。豊臣秀吉の菩提を弔うために、秀吉の正室、北政所(ねね=出家して高台院湖月尼)が徳川家康の援助を仰ぎ、慶長10年(1605年)に創建した近世京都を代表する名刹で「ねね

大雲院祇園閣

京都府京都市東山区、織田信長、織田信忠父子の供養のために創建された寺が大雲院。大雲院祇園閣は、昭和3年、ホテルオークラの創始者、大倉喜八郎の建てた別邸「真葛荘」の一部で、緑色の屋根が目をひく塔は、大倉喜八郎が『祇園祭』の山鉾を模して建てた3

台所坂

京都府京都市東山区、高台寺の西側を南北に通る高台寺北門前通は、通称が、ねねの道。そのねねの道から高台寺の庫裏(くり)へと上る坂道が台所坂です。小さな石段の坂道ですが、新緑、紅葉シーズンには京都らしい風情があり、写真撮影にも人気の場所になって

 

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