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台所坂

台所坂

京都府京都市東山区、高台寺の西側を南北に通る高台寺北門前通は、通称が、ねねの道。そのねねの道から高台寺の庫裏(くり)へと上る坂道が台所坂です。小さな石段の坂道ですが、新緑、紅葉シーズンには京都らしい風情があり、写真撮影にも人気の場所になっています。

北政所が居所から高台寺に足繁く通った坂道

ねねとは、豊臣秀吉の正室、北政所(高台院)のこと。
高台寺は、北政所(高台院)が豊臣秀吉の冥福を祈るため建立した寺で、高台寺という寺号も北政所の院号、高台院に由来しています。
ねねの道沿い、台所坂の入口に建つ圓徳院は、慶長10年(1605年)、伏見城の化粧御殿を移築し、移り住んだ北政所(高台院)の居所の跡で、北政所(高台院)終焉の地。

高台寺では、台所坂はねね、つまりは北政所(高台院)が居所(現・圓徳院)から秀吉の菩提を弔うため高台寺に通った道だとしています。
ということは、北政所(高台院)を訪れた徳川家康も、北政所(高台院)に案内され、この坂道を上って高台寺を参詣したのかもしれません。

なぜ台所坂と呼ばれるかは定かでありませんが、臨済宗における庫裏(くり)は、寺の台所としての機能が高いので、台所坂とも推測できますが、北政所が御台所(みだいどころ=将軍の正室の呼称)なので、御台所坂の転訛とも考えられます。

京都在住のカメラマンも、台所坂に人がいないのを狙いますが、日中は人が絶えることはまずありません。
ねねの道の紅葉は、11月中旬~11月下旬が見頃ですが、台所坂の紅葉は12月まで楽しめるのも特徴。
高台寺吉例の紅葉ライトアップでは台所坂ももちろんライトアップされ、幽玄な雰囲気に。

なお台所坂の下半分は、「産寧坂伝統的建造物群保存地区」(国の重要伝統的建造物群保存地区)にも選定されています。

台所坂
名称 台所坂/だいどころざか
所在地 京都府京都市東山区下河原町
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

石塀小路

京都府京都市東山区、高台寺の西を南北に通る高台寺北門通(「ねねの道」)とその1本西側の下河原通を繋ぐ路地が石塀小路。 明治末期から大正時代にかけて築かれたという京都らしい路地で、石畳と石塀が美しいのがその名の由来。途中で屈曲する部

ねねの道

京都府京都市東山区、高台寺の西側を南北に通る高台寺北門前通は、通称が、ねねの道。一念坂、維新の道の分岐から北に祇園閣の前で屈曲しながら円山公園まで続く道で、京都らしい風情あふれる道です。ねねとは、豊臣秀吉の正室、北政所(高台院)のこと。道の

圓徳院

京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺、高台寺の重要な塔頭(たっちゅう=子院)が圓徳院。慶長10年(1605年)、豊臣秀吉の北政所(ねね=出家して高台院湖月尼)の甥、木下利房(きのしたとしふさ)が、秀吉との思い出深い伏見城の化粧御殿と前庭を移

高台寺

京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺、高台寺(正式名は高台寿聖禅寺)。豊臣秀吉の菩提を弔うために、秀吉の正室、北政所(ねね=出家して高台院湖月尼)が徳川家康の援助を仰ぎ、慶長10年(1605年)に創建した近世京都を代表する名刹で「ねね

大雲院祇園閣

京都府京都市東山区、織田信長、織田信忠父子の供養のために創建された寺が大雲院。大雲院祇園閣は、昭和3年、ホテルオークラの創始者、大倉喜八郎の建てた別邸「真葛荘」の一部で、緑色の屋根が目をひく塔は、大倉喜八郎が『祇園祭』の山鉾を模して建てた3

 

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