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五塚原古墳

五塚原古墳

京都府向日市(むこうし)、はり湖池の西側にある墳丘長91.2mの前方後円墳が、五塚原古墳(いつかはらこふん)。向日丘陵古墳群の1基で、乙訓古墳群(おとくにこふんぐん)として国の史跡になっています。古墳時代前期初頭(3世紀後半)の築造で京都府でも最古級の前方後円墳です。

京都府で最古級の大型前方後円墳

古墳時代前期初頭(3世紀後半)の前方後円墳で、まさに前方後円墳としても最古級の古墳。
しかも卑弥呼(ひみこ)の墓という説もある箸墓古墳(3世紀中頃/奈良県桜井市)と同じで、前方部が途中から撥型(ばちがた)に大きく開き(京都府では椿井大塚山古墳が3世紀末築造で類似)、共通の段築構造(「斜路状平坦面」)が確認されています。

墳丘は、後円部が3段築成、前方部が2段築成で、葺石に覆われていますが、テラスの埴輪列は検出されていません。
後円部3段、前方部2段は、五塚原古墳が最初の築造で、箸墓古墳に続く、ヤマト王権の大王墓である西殿塚古墳(奈良県天理市)・行燈山古墳(奈良県天理市、伝崇神天皇陵)のモデル(基本設計)になったとも推測できます。

埋葬施設は後円部墳頂の竪穴式石室。
発掘調査で墳丘西端から埴輪の棺が出土しましたが、妙見山古墳(4世紀中頃築造)から持ち込まれたものと推測されています。

古墳時代前期の乙訓地域の首長墓で、築造順では、五塚原古墳(墳丘長91m/箸墓古墳と相似形)→元稲荷古墳(墳丘長94m)→寺戸大塚古墳(墳丘長98m)→妙見山古墳(墳丘長116m)→伝高畠陵古墳(桓武天皇皇后陵)と続きます。

乙訓古墳群(国の史跡)とは!?

乙訓古墳群(国の史跡)は、乙訓地域(向日市、長岡京市、大山崎町、京都市の一部)にある古墳時代(3世紀~7世紀)の首長墓。
向日市の五塚原古墳、元稲荷古墳、寺戸大塚古墳、南条古墳、物集女車塚古墳、長岡京市の長法寺南原古墳、恵解山古墳(いげのやまこふん)、井ノ内車塚古墳、井ノ内稲荷塚古墳、今里大塚古墳、大山崎町の鳥居前古墳、京都市の天皇の杜古墳、芝古墳(芝1号墳)の13基が国の史跡になっています。

ひとつの地域で首長の古墳が継続して築造された事例は日本列島において稀で、畿内中枢部(ヤマト王権)の大王墓の動向と連動し、当時の政治的な動向の縮図にもなっています。

五塚原古墳
名称 五塚原古墳/いつかはらこふん・いつつがはらこふん
所在地 京都府向日市寺戸町芝山3-1
関連HP 向日市公式ホームページ
電車・バスで 阪急東向日駅から徒歩20分
ドライブで 京都縦貫自動車道大原野ICから約5km
問い合わせ 向日市教育委員会 TEL:075-931-9901
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

恵解山古墳

京都府長岡京市にある前方後円墳が、恵解山古墳(いげのやまこふん)。13基の古墳が国の史跡となっている乙訓古墳群(おとくにこふんぐん)のひとつで、恵解山古墳は、墳丘長128m(後円部径78.6m、前方部長49.4m)で、乙訓地域最大(京都盆地

寺戸大塚古墳

京都府向日市(むこうし)にある(墳丘の主軸は京都市との市境)墳丘長98mの前方後円墳が、寺戸大塚古墳(てらどおおつかこふん)。向日丘陵古墳群(乙訓古墳群)の1基で、国の史跡。木津川市の椿井大塚山古墳(つばいおおつかやまこふん)出土の三角縁神

元稲荷古墳

京都府向日市(むこうし)、桂川右岸の向日丘陵の最南端に築かれた墳丘長94mの前方後方墳が、元稲荷古墳(もといなりこふん)。向日丘陵古墳群の1基で、乙訓古墳群(おとくにこふんぐん)として国の史跡になっています。古墳名はかつて後方部墳頂に向日神

伝高畠陵古墳(桓武天皇皇后陵)

京都府向日市(むこうし)、直径約65mの円墳が、伝高畠陵古墳(でんたかばたけりょうこふん)。乙訓古墳群(おとくにこふんぐん)の1基ですが、宮内庁が高畠陵(たかばたけのみささぎ)として桓武天皇皇后陵に治定しています。考古学的には古墳時代前期の

 

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