京都府京都市中京区、世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産のひとつ、二条城。内堀に囲まれた二条城の本丸の西南隅にある高く積まれた石垣が、二条城・天守台。天守台の上に石段で上ることができ、天守台の上からは、内堀、本丸御殿と本丸庭園を眼下に、京都市街を眺望できます。
天守は、寛延3年(1750年)に落雷により焼失
初代の天守は、慶長7年(1602年)、大和国の郡山城(現・奈良県大和郡山市)から移築。
豊臣政権で五奉行のひとりだった増田長盛(ましたながもり)が関ヶ原の戦いで石田三成の西軍に与したため、高野山に追放、城内の建物は伏見城に移築されましたが、天守はちょうど建造中の二条城に移され、慶長11年(1606年)に落成しています。
慶長16年(1611年)に豊臣秀頼と徳川家康が二の丸御殿で会見(二条城会見)していますが、その際にあった天守は、郡山城から移築の初代天守ということに。
徳川秀忠が将軍職を3代・徳川家光に譲り、大御所政治を開始すると、寛永元年(1624年)、後水尾天皇の行幸を迎えるためにの手によって徳川家光二条城は大改築を開始。
本丸が再整備され、それまでの天守(旧郡山城天守)は淀城へと移され、それに代わって2代目天守として元和5年(1619年)に廃城が決まった伏見城の天守が移築されています。
伏見城から移された天守は、五重六階の豪壮なものでしたが、寛延3年(1750年)に落雷により焼失し、以降、再建されることはありませんでした。
二条城の本丸には四隅に櫓が建ち、そのうちの西南隅のものが5階建ての天守、西北隅のものが3階建て、それ以外の2棟は、外堀沿いの5棟と同様に2階建てでした。
江戸時代には二条城を中心に,京の治安を司る京都所司代、京都町奉行、京都代官の各政庁が城の北・南・西の外周に設けられ、二条武家屋敷街といった景観を呈していました。
天守はあくまでシンボル的な存在ですが、本丸の西南隅に位置すること、現存する二の丸の西南隅櫓の唐破風が西側に付けられていることから考えても、西側からの眺めを強く意識したもの(あるいは西を睨むもの)になっています。
二条城・天守台 | |
名称 | 二条城・天守台/にじょうじょう・てんしゅだい |
所在地 | 京都府京都市中京区二条通堀川西入ル二条城町541 |
関連HP | 元離宮二条城公式ホームページ |
電車・バスで | 地下鉄東西線二条城前駅下車、徒歩2分で東大手門。JR京都駅から市バスで17分、二条城前下車、徒歩1分で東大手門 |
ドライブで | 名神高速道路京都南ICから約7.7km |
駐車場 | 第1駐車場(120台/有料)、第3駐車場(20台/有料) |
問い合わせ | 二条城 TEL:075-841-0096/FAX:075-802-6181 |
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