京都府京都市中京区、世界遺産「古都京都の文化財」の構成資産のひとつ、二条城。二の丸御殿の玄関・車寄(くるまよせ)の西側に設置されているのが、旧京都所司代屋敷釣鐘(きゅうきょうとしょしだいやしきつりがね)。幕末の政変時に、二条城と京都所司代屋敷の連絡に使われた鐘です。
この鐘が鳥羽・伏見の戦いの開戦を連絡
室町幕府の侍所(さむらいどころ)をルーツとする、京の治安維持を目的に組織されたのが京都所司代。
上屋敷・堀川屋敷・千本屋敷からなる京都所司代の屋敷は、二条城の北東にあり(現・京都市上京区藁屋町一帯)、二条城と京都所司代への往来には北大手門が利用されていました。
用意周到の徳川家康ですが、京都所司代も関ヶ原の合戦後、すぐに設けられ、皇室や公家に目を光らせ、京の諸役人を監督、京の町方の取締も行ないました(町方の取締は、後に京都町奉行を設置)。
加えて裁判機能も保有し、近畿8ヶ国の訴訟処理や、西国33ヶ国の動静監視なども行ない、徳川幕府では老中に次ぐ、権威あるものでした。
初代の京都所司代は、徳川家康の長女・亀姫を正室とし、家康から娘婿として重用された奥平信昌(おくだいらのぶまさ)で、関ヶ原合戦後に本願寺と匿われ京都潜伏中の安国寺恵瓊(あんこくじえけい)を捕縛、西軍首脳の1人として、六条河原にて斬首になっています(建仁寺境内に安国寺恵瓊首塚があります)。
2代目は善政を敷き、評価が高い板倉勝重(いたくらかつしげ)で、大坂の陣のきっかけとなる有名な方広寺鐘銘事件にも関わっています。
京都所司代上屋敷への通用門として二条城の北大手門が設置されたのは慶長8年(1603年)頃なので、最初にくぐったのはこの板倉勝重だったかもしれません。
3代目は板倉重宗(いたくらしげむね)で、京都所司代期間は歴代最長となり、寛永3年(1626年)、第3代将軍・徳川家光の参内にも同行、寛永3年(1626年)の後水尾天皇行幸に際しての二条城大改修も、この板倉重宗の時代です。
王政復古の大号令に至るまで、58人が京都所司代に就任しています。
幕末の政変で、二条城では京都所司代との危急の連絡に使うため、東北隅の艮櫓(うしとらやぐら=天明の大火で焼失)跡に京都所司代千本屋敷(千本通りに面した屋敷)から火の見櫓を移し、鐘楼を建てて釣鐘を吊って連絡に使いました(京都所司代側にも設置)。
薩摩藩、長州藩の動きに備え、鳥羽・伏見の戦い開戦(伏見市街で市街戦が勃発)などを告げるのに使われ、廃藩置県で二条城に京都府庁が置かれた際にも、危急の連絡用に使われていました。
二条城・旧京都所司代屋敷釣鐘 | |
名称 | 二条城・旧京都所司代屋敷釣鐘/にじょうじょう・きゅうきょうとしょしだいやしきつりがね |
所在地 | 京都府京都市中京区二条通堀川西入ル二条城町541 |
関連HP | 元離宮二条城公式ホームページ |
電車・バスで | 地下鉄東西線二条城前駅下車、徒歩2分で東大手門。JR京都駅から市バスで17分、二条城前下車、徒歩1分で東大手門 |
ドライブで | 名神高速道路京都南ICから約7.7km |
駐車場 | 第1駐車場(120台/有料)、第3駐車場(20台/有料) |
問い合わせ | 二条城 TEL:075-841-0096/FAX:075-802-6181 |
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