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紫式部の墓

紫式部の墓

京都市北区紫野西御所田町、堀川北大路交差点の南、堀川通沿い、島津製作所紫野工場の隣接地にあるのが、紫式部の墓。大河ドラマ『光る君へ』の主人公で、『紫式部日記』、『源氏物語』の作者として知られる紫式部ですが、生年、没年も定かでなく、墓もあくまで伝・紫式部の墓ということになります。

紫式部は晩年、紫野(むらさきの)で暮らした!?

平安時代中期の歌人で、女房(女官)でもあった紫式部。
その名も、あくまで通称で、宮中での女房名は藤式部(とうのしきぶ)でした。

藤原為時(ふじわらのためとき)の娘として天禄元年(970年)〜天元元年(978年)に生まれ、寛仁3年(1019年)までは存命だったことがわかっていますが、晩年、死没の地などは定かでありません。

父・藤原為時は、永観2年(984年)、花山天皇即位で、式部丞(しきぶのじょう=式部省の判官)・六位蔵人に任じらていますが、実は紫式部の式部は、父の役職名です。
藤原道長の執政時、長徳2年(996年)に従五位下・越前守に叙任されて越前国へ赴任し、紫式部も帯同したと伝えられています。

紫式部の墓のある紫野(むらさきの)には、淳和天皇(じゅんなてんのう/在位823年〜833年)の離宮・紫野院(大徳寺の塔頭・雲林院がその跡地)があったという風光明媚な場所で、宮廷の遊猟地でした。
染料の紫をとる紫草が生育していたことが名の由来とも(枕草紙にも「野は紫野」と紹介)いわれる紫野ですが、大徳寺塔頭・真珠庵(非公開)には「紫式部産湯の井戸」があり、またが晩年に住んだとされる地となっています。

紫式部の墓の隣には、遣唐副使でもあった小野篁(おののたかむら)の墓があります。
室町時代初期、貞治年間(1362年〜1367年まで)に完成した『源氏物語』の注釈書『河海抄』(かかいしょう)には、「式部墓所在雲林院白毫院南 小野篁墓の西なり」と記されており、没後350年ほどを経てはいますが、その記述と墓所の場所は一致しています(少なくとも、14世紀にはこの場所に墓があったことがわかります)。

墓所は、平成元年に社団法人紫式部顕彰会によって整備され、吉野川上流で産出した高さ1950cmの花崗岩による墓碑も新たに建立されています。

これまで京都でも知る人ぞ知る墓所でしたが、令和6年、大河ドラマ『光る君へ』の放送で、注目の場所となっています。

小野篁(おののたかむら)の墓
紫式部の墓
名称 紫式部の墓/むらさきしきぶのはか
所在地 京都府京都市北区紫野西御所田町
電車・バスで 京都市営地下鉄鞍馬口駅から徒歩15分
ドライブで 名神高速道路京都東ICから約12km
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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