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勧修寺

勧修寺

京都府京都市山科区勧修寺(かんしゅうじ)にある真言宗山階派の大本山が、勧修寺(かじゅうじ)。昌泰3年(900年)、醍醐天皇が母・藤原胤子(ふじわらのいんし)の菩提を弔うために創建。桜のシーズンなどにあわせて建物内部の特別公開が行なわれていますが、通常は庭園のみ鑑賞が可能。

通常は庭園、外観のみ鑑賞が可能

明正天皇の旧殿を下賜されたという宸殿

皇室や藤原氏の庇護を受け、代々法親王、入道親王が入寺する宮門跡寺院として栄えましたが、文明2年(1470年)、応仁の乱の兵火で焼失して衰退し、江戸時代の天和2年(1682年)に済深法親王(さいしんほっしんのう=霊元天皇の第1皇子、東大寺別当)が入寺して再興されています。
現存する本殿、宸殿や書院はこのとき霊元天皇、明正天皇などの旧殿を賜ったもの。

寛文12年(1672年)に霊元天皇の仮内侍所(かりないしどころ)を下賜された本堂は、京都市の有形文化財。
宸殿は、元禄10年(1697年)、明正天皇の旧殿を下賜されたもので、京都市の有形文化財。
後西天皇の旧殿、あるいは明正天皇の旧殿を下賜されたという書院は国の重要文化財に指定されています。
美しい書院南庭、そして氷室池を中心とする池泉回遊式庭園「氷室園」(徳川光圀が寄進した勧修寺型灯籠があります)は京都市の名勝です。

『源氏物語』のモデルとなった恋の話も

醍醐天皇を産んだ藤原胤子は、宇多天皇の女御(にょうご)。
内大臣・藤原高藤(ふじわらのたかふじ)と宮道弥益(みやじのいやます)の娘・宮道列子(みやじ のたまこ)との間に生まれた女性で、紫式部(むらさきしきぶ)は、その子孫ということに。

勧修寺自体も、醍醐天皇の命により栗栖野にあった宮道弥益の邸宅が寺となったもの。
『源氏物語』の光源氏と明石の御方らの恋の話は、身分格差のあった宮道列子と藤原高藤が結ばれた話(鷹狩の際に、雨宿りした宮道弥益の屋敷で出会う)がモデルとされています。

勧修寺
名称 勧修寺/かじゅうじ
所在地 京都府京都市山科区勧修寺仁王堂町27-6
電車・バスで 京都市営地下鉄小野駅から徒歩10分
ドライブで 名神高速道路京都東ICから約5km、京都南ICから約8km
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 勧修寺 TEL:075-571-0048
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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