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産田神社

産田神社

『日本書紀』に伊奘冉尊(いざなみのみこと)が火の神である軻遇突智(かぐつち)をお産した時、焼かれて死亡し、紀伊国の熊野の有馬に埋葬されたという記述があり、産田(うぶた)というのは軻遇突智の生まれた地と伝えられています。産田神社が伊奘冉尊の出産の地、花窟神社が墓所といわれています。安産、子授けのご利益で有名。

伊奘冉尊の産屋が神社となった!?

創建の歴史は神代へと遡り、定かでありません。
古代の祭祀の場「産田神社祭祀遺跡」が残されています。
昭和34年の伊勢湾台風で境内の古杉が倒れましたが、その根元から弥生時代の土器片が出土しています。
地元にはここに祀られていた神様を遷して熊野本宮大社が始まったという伝承もあります。

社殿両脇の神籬(ひもろぎ)は、石を5つ直線に並べ、さらにその周囲を小石で四角く囲ったもの。

『熊野年代記』には1132(長承元)年、崇徳天皇が産田神社に行幸したことが記されています。
関ヶ原合戦の1600(慶長5)年、豊臣秀頼が二王門を寄進しています。
1732(享保17)年には紀州藩から灯籠の寄進を受け、社殿修復が行なわれています。

現在の神明造りの社殿は昭和4年の再建。
子供を授かると産田神社に参拝し、社殿前に敷かれた白石(熊野参詣道の七里御浜から集めた敷石)を後ろ向きに拾い、石が丸ければ女の子、石が細長ければ男の子といい伝えられ、無事に生まれると七里御浜で白石を拾い、元の石と一緒に返すというしきたりがあります。

1月10日に『例祭』が斎行されますが、直会(なおらい=打ち上げ的な儀式)の際、「奉飯(ほうはん=汁かけ飯一碗、骨付きのさんま寿司、赤和え、神酒)」と称される膳を頂くと、安産と子育ての願いが叶い、厄落としができるといわれています。
この骨付きのさんま寿司が熊野のさんま寿司のルーツともいわれ(熊野市の「さんま寿司保存会」が提唱)、1月10日を「さんま寿しの日」とPRしています。

産田神社
名称 産田神社/うぶたじんじゃ
Ubutajinja Shrine
所在地 三重県熊野市有馬町1814
関連HP 熊野市観光公社公式ホームページ
電車・バスで JR紀勢本線有井駅から徒歩5分。または、JR熊野市駅からタクシーで10分
ドライブで 紀勢自動車道尾鷲北ICから約29km
駐車場 10台/無料
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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