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見性寺

見性寺

三重県三重郡菰野町菰野にある菰野藩主・土方家の菩提寺が見性寺(けんしょうじ)。寛永21年(1644年)、城下町や陣屋(菰野城)を整備したを菰野藩2代藩主・土方雄高(ひじかた かつたか)が尾張国熱田(現・名古屋市熱田区)の蓬雲山乾徳寺(現在は瑞穂区に移転)から三霊和尚を招いて創建。

菰野藩主・土方家の菩提寺で歴代藩主の墓所も

菰野藩2代藩主・土方雄高が土方家菩提寺として創建した臨済宗妙心寺派の寺で、寺号は父である初代藩主・土方雄氏(ひじかたかつうじ)の法名(戒名:堅翁宗固見性院)です。
初代藩主・土方雄氏は京で暮らし、京都の功運院が墓所ですが、2代藩主・土方雄高は菰野に根付き、菰野城、城下を整備、藩政を充実させています。

見性寺が創建される以前には、菰野など三重郡を領有した織田信雄(おだのぶかつ)が築いた城砦(薦野城)があったと伝えられています。

藩祖・土方雄氏の夫人・玉雄院は、織田信雄の娘(織田信長の孫娘)の八重姫(奈於)。
寺を創建するにあたって、土方雄高は実母の玉雄院に相談すると、織田家とゆかりのある熱田の龍珠寺(りゅうじゅじ=当時、熱田湊にありました)の良嶽(りょがく)老師に相談せよとの指示を受け、良嶽老師は、弟子の紹省三霊を推薦し、見性寺が創建されたのです。

こうして菰野城の辰巳の方角で恵方に当たる薦野城跡が建設地に決定。
境内には菩提寺として土方家歴代藩主の墓があります。
藩祖・土方雄氏は京の功運院に葬られ、最後の藩主・土方雄永は東京の谷中墓地に葬られていますがそれ以外の歴代の菰野藩主、そして玉雄院はここに眠っています。

本堂は禅宗の方丈様式、山門は豪壮で大名の菩提寺たる格式を備え、書院の玄関は江戸時代後期、菰野藩お抱えの宮大工・高木藤造(たかぎとうぞう=高田本山専修寺の唐門などを担当した名工)の作。

見性寺
名称 見性寺/けんしょうじ
所在地 三重県三重郡菰野町菰野158
関連HP 菰野町公式ホームページ
電車・バスで 近鉄菰野駅から徒歩5分
ドライブで 新名神高速道路菰野ICから約3km。東名阪自動車道四日市ICから約4.6km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 見性寺 TEL:059-394-1755
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

菰野城

三重県三重郡菰野町(こものちょう)にある菰野藩の藩庁が菰野城。土方雄氏(ひじかたかつうじ)を藩祖とする菰野藩1万2000石・土方氏の居城。2代藩主・土方雄高(ひじかたかつたか)が藩庁となる陣屋(菰野城)と城下町を建設しています。菰野城跡は現

 

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