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桑名東照宮

桑名東照宮

三重県桑名市本町、桑名神社と中臣神社(なかとみじんじゃ=春日神社)の両社をあわせた桑名宗社(くわなそうしゃ=桑名の総鎮守)の境内社が、桑名東照宮。元和3年(1617年)、徳川秀忠・江(ごう)の娘・千姫が創建した社で、「恋を成就させたパワースポット」として人気を集めています。

千姫が徳川家康坐像を奉納して創建

千姫は、大坂夏の陣で大坂城(現・大阪城)から江戸城へと戻る際、桑名城主・本多忠政の息子・本多忠刻(ほんだただとき)が桑名での接待を担当、運命的な出会いを果たし、祖父の家康の許しを貰って結婚することになりますが(嫁入り直前に家康は没しています)、徳川家康坐像を神社へ奉納し、出会いの地となった桑名の春日神社に東照大権現を勧請したのです。

ただし、千姫と本多忠刻が見初めあい、運命的な出会いを果たしたという逸話に関しては、徳川家側の創作で単なる政略結婚とする説も。

慶長20年(1615年)の夏の陣で、本多忠刻は父・本多忠政とともに出陣して活躍。
元和2年9月29日(1616年11月8日)、豊臣秀頼の正室だった千姫と婚姻しています(千姫は7歳で豊臣秀頼と政略結婚)。
元和3年(1617年)、本多忠政・本多忠刻親子は、西国への備えとして姫路城に移り(千姫の化粧料として徳川秀忠から10万石が与えられ、厚遇されています)、それに伴って千姫も姫路城に移ったため、桑名城での生活はわずか10ヶ月間ということに。

徳川家康は仏式(神仏習合)の東照大権現として祀られたため、千姫が寄進した徳川家康坐像も、明治の神仏分離までは神宮寺で徳川家位牌所の仏眼院(ぶつげんいん)にありました。
神仏分離を受け、東照大権現が神式の東照宮として祀られることになり、明治3年頃、仏眼院の依頼を受け、徳川家康坐像も桑名宗社に移管されています。

桑名宗社にはハートのついた石灯籠、子宝に恵まれるという奇石「陽石」などもあり、パワースポットとして注目されています。

桑名東照宮
名称 桑名東照宮/くわなとうしょうぐう
所在地 三重県桑名市本町46
関連HP 桑名宗社公式ホームページ
電車・バスで JR・近鉄名古屋線桑名駅から徒歩15分
ドライブで 東名阪自動車道桑名ICから約5km
駐車場 40台/無料
問い合わせ 桑名宗社 TEL:0594-22-1913
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

桑名宗社

三重県桑名市本町、桑名宗社(くわなそうしゃ)とは桑名神社と中臣神社(なかとみじんじゃ=春日神社)の両社をあわせた名前で、桑名の総鎮守。現在も本殿・拝殿は2宇に分かれ、神紋も異なっています。8月に行なわれる「日本一やかましい祭り」石取神事(『

 

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