宮崎県東臼杵郡椎葉村(しいばそん)、椎葉村の中心部、下福良(しもふくら)地区にある椎葉民家を代表する古民家で、国の重要文化財に指定されるのが鶴富屋敷(那須家住宅)。建築年代は、江戸時代後期の文政年間(1818年〜1831年)と推定されています。
平家落人伝説を今に伝える古民家は、国の重文
椎葉の民家は「並列型民家」といい、家屋前面に縁(えん)を横一列に設け、それにそって部屋を並べる横長の特異なスタイル。
平地の少ない椎葉村で等高線に沿って横長の平坦地を巧みに利用するためにこのような「並列型民家」が生まれたと推測されます。
内部は、土間から順に「うちね」(居間)、「つぼね」(寝間)、「でい」(客間)、「ござ」(仏間)と連続する4室から成っており、廊下はなく縁が廊下の代わり。
本来は茅葺き(かやぶき)ですが、昭和31年に重要文化財の指定を受けたことから、昭和38年から火災防止のために銅板葺きに変更されています。
平家残党の姫という鶴富姫(つるとみひめ)と那須大八郎の恋物語の舞台ともなった場所で、正式名称は那須家住宅ですが鶴富屋敷と呼ばれています。
近くには鶴富姫が化粧に使い、また、大八郎に水を汲んだといわれる「鶴富姫化粧の水」があり、平家落人伝説を今に伝えています。
椎葉村は平家落人の里といわれますが、この那須家は落人伝説の筆頭。
源頼朝から平家追討の命を受けた那須与一ですが、病気のため、弟・那須大八郎宗久(なすのだいはちろうむねひさ)が代わって、平家の落人を追討する斥候(せっこう)として椎葉村まで到達。
農業に勤しむ落人の姿を見て幕府には追討を果たしたと報告し、この山村に屋敷を構え、平清盛の末裔である鶴富姫と出会い、恋仲になるという伝説です。
那須大八郎が椎葉の地を離れた後に、鶴富姫は娘を出産し、娘に那須野性を名乗らせたのだとか。
下福良地区では現在も8世帯が那須性となっています。
壇ノ浦で敗れた平家一族は、豊後(現・大分県)から阿蘇を越え椎葉の里に逃れたとするのが椎葉村の平家落人伝説ですが、実際には木地師の流れなどと関連するとも推測されますが、この那須家住宅周辺には非常に具体的な伝承が数多く残されているのです。
隣接して旅館「鶴富屋敷」が営業し、宿泊料金によっては、重要文化財の鶴富屋敷で食事を味わうプランも用意されています。
鶴富屋敷(那須家住宅) | |
名称 | 鶴富屋敷(那須家住宅)/つるとみやしき(なすけじゅうたく) |
所在地 | 宮崎県東臼杵郡椎葉村下福良1818 |
関連HP | 椎葉村観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR日向市駅から徒歩すぐの都町から宮崎交通バス上椎葉行きで2時間21分、上椎葉下車、徒歩すぐ |
ドライブで | 九州自動車道人吉ICから約79km |
駐車場 | 椎葉村観光駐車場利用 |
問い合わせ | 椎葉村観光協会 TEL:0982-67-3139 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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