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西南の役細島官軍墓地

宮崎県日向市日知屋、細島の港を見渡せる小高い丘にある、明治10年の西南戦争に従軍した、迫田鉄五郎少佐以下319名の官軍兵士の墓地が西南の役細島官軍墓地。宮崎県内各地で戦死、病死した官軍兵士で、墓碑銘や当時の記録から、関東・中部・東北地方の出身者が多いことがわかっています。

西南戦争、宮崎県内で戦没した官軍兵士の墓

明治10年7月14日〜8月20日、細島の老舗「摂津屋」に、官軍の本営が置かれ、有栖川之宮征討総督が滞在。
官軍は細島を兵站地として利用し、最新鋭の軍艦を使って兵員や弾薬、食糧などの補給を行なっています(細島の苫屋勘兵衛は官軍に13万3000足の草靴を納入)。

明治10年8月15日の西南の役・最後の激戦地である延岡・和田越えの戦い、8月17日の可愛嶽(えのたけ)の包囲戦などで負傷、死亡した官軍の兵士は、盛岡港から船で細島港へと運ばれました。
死亡日を見ると、8月15日、8月18日が多いので、多くの将兵は戦地で亡くなったり、細島陸軍病院で到着直後に命を落としていることがわかります。

迫田鉄五郎少佐は、薩摩藩の藩士でしたが、明治維新後、陸軍に入り、西南戦争に近衛第一連隊第三大隊長心得(陸軍少佐)として参戦し、明治10年8月18日、可愛嶽で戦死(28歳という若さです)。

細島官軍墓地の埋葬者が明らかなため、今でも子孫、縁者が花を手向けにやって来ることがあるそうです。
対して、日向市市内には薩摩軍兵士の墓とされるものが各地にありますが、いずれも無銘の自然石で、放置されたまま。
手厚い官軍と、賊軍とされる薩摩軍との戦後の扱いがよくわかります。

画像協力/日向市観光協会

西南の役細島官軍墓地
名称 西南の役細島官軍墓地
所在地 宮崎県日向市細島555
関連HP 日向市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR日向市駅からタクシーで15分
ドライブで 東九州自動車道日向ICから約6km
問い合わせ 日向市観光協会 TEL:0982-55-0235/FAX:0982-55-1739
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

細島みなと資料館

宮崎県日向市細島、大正時代に建てられた九州では数少ない木造3階建ての「高鍋屋旅館」(代々三輪家が経営)を再生したミュージアムが細島みなと資料館。細島港は、幅(南北)200m~300m、奥行き(東西) 3km の懐深い入江を利用した天然の良港

関本勘兵衛住宅

宮崎県日向市細島、明治20年に内務省がオランダ人技師ヨハネス・デレーケ設計で港湾整備を行なった細島港にある商家が関本勘兵衛家住宅。苫屋の屋号を持つ関本家は江戸時代から続く商家で、現存する建物は明治12年の築。主屋1棟、付属屋2棟、土蔵1棟が

 

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