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金峯山寺・銅の鳥居

銅の鳥居

宮島の朱丹の大鳥居(重要文化財)、四天王寺の石の鳥居(重要文化財)と並んで「日本三大鳥居」に数えられるのが吉野山金峯山寺(きんぷせんじ)の銅の鳥居(かねのとりい)。銅製で、高さ7.5m。こちらも国の重要文化財。鋳銅製の円筒や箱形の部材を組み上げた鳥居としては日本最古のもの。

扁額には「発心門」と記される

扁額にある「発心門」とは、大峯修験道に入る第一門の意味。
大峯山の山上までに、吉野山から山上が岳に至る金峯山での十界の修行を、さらに具体化して、修行の道順を示したもの4つの門があります。
ここが修行に際して俗界を離れ、菩提心を発する「発心門」として重視されていました。
修験者は鳥居に手を触れ「吉野なる銅の鳥居に手をかけて弥陀の浄土に入るぞうれしき 唵阿毘羅吽欠蘇婆訶(オンアビラウンケソワカ) 南無高祖神変大菩薩」と三度唱えて柱を周り入山。
修験者はここで俗世間から離れることになるのです。
ちなみに、阿毘羅吽欠蘇婆訶(アビラウンケンソワカ)とは大日如来に祈るときの呪文 (じゅもん)。

この先、120kmにも及ぶ厳しい修験の道(大峯奥駈道)が続きます。
第二の鳥居は金峯神社の修行門(苦しい修行の始まりを告げる門)、第三、第四は山上ヶ岳の等覚門(仏の悟りに等しく、後は最後の荒行・西の覗きを残すのみ)と妙覚門(妙覚は仏の無上の悟りを意味し、仏地に到達したことを宣言する門)。
修験道の発祥の地、吉野らしい4つの門となっているのです。

銅の鳥居の創建は定かでありませんが(奈良大仏の建立の際に余った銅でという俗説もある)、貞和4年・正平3年(1348年)、南北朝の戦いで高師直の兵火により蔵王堂とともに焼失。
現存する鳥居は康正元年(1455年)頃の再建と推測されます。

金峯山寺・銅の鳥居
名称 金峯山寺・銅の鳥居/きんぷせんじ・かねのとりい
所在地 奈良県吉野郡吉野町吉野山
関連HP 金峯山寺公式ホームページ
電車・バスで 近鉄吉野線吉野駅から徒歩30分。または、ロープウェイ吉野山駅から徒歩5分
ドライブで 西名阪自動車道郡山ICから約34km
駐車場 下千本駐車場(100台/観桜期は有料)
問い合わせ 金峯山寺 TEL:0746−32−8371/FAX:0746−32−4563
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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