708年(和銅元)年、元明天皇により遷都の詔が出され、710(和銅3)年3月10日に遷都された「奈良の都」が平城京。唐に倣った古代の都は、南北に長い長方形で、中央の朱雀大路を軸として右京と左京に分かれ、朱雀大路の南端に置かれた都の正門が羅城門(らじょうもん)。今では平城京・羅城門跡の石碑が残るのみとなっています。
平城京の南端中央にあった巨大な正門の跡
平城京は、東西4.3km(外京を含めて6.3km)、南北4.7km(北辺坊を除く)という広大なもので、都城の正門として置かれたのが羅城門です。
平城京、そして平安京では都の南端、中央に配されていました。
これまでは、桁行5間(26m)、梁間2間(10m)で平城宮の正門である朱雀門とほぼ同じ重層入母屋造り瓦葺の建物と推測されてきましたが、門の正面を7間(35m)だったという平城京最大の門だったという考え方も浮かんでいます。
現在、羅城門の遺構は佐保川の堤防になっており、過去の発掘調査では基壇の西端部分が見つかっています。
佐保川にかかる羅城門橋の欄干に羅城門の解説板が設置されているほか、奈良市西九条町5丁目の平城京羅城門跡公園には「平城京 羅城門跡碑」が立っています。
平城京・羅城門跡 | |
名称 | 平城京・羅城門跡/へいじょうきょう・らじょうもんあと Heijo-kyo Capital,remains of Rajomon gate |
所在地 | 奈良県奈良市西九条町5丁目 |
電車・バスで | JR大和路線郡山駅から徒歩10分 |
ドライブで | 京奈和自動車道木津ICから約10km |
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