奈良県橿原市鳥屋町にある一辺90mという巨大な方墳が桝山古墳(ますやまこふん)。宮内庁により、身狭桃花鳥坂墓(むさのつきさかのはか)として、第10代崇神天皇(すじんてんのう)皇子の倭彦命(やまとひこのみこと)の墓に治定され、宮内庁が管理、陵墓内は立入禁止で、拝所が設けられています。
橿原市にある日本最大の方墳
桝山古墳は、一辺90m、高さ15mの三段築成になっていて、一辺の長さでは日本最大の方墳です(周濠部分を含めると千葉県印旛郡栄町の岩屋古墳が最大で108m)。
造営は表面で採取された埴輪から、古墳時代中期の5世紀前半頃と推測されていますが、発掘調査などが行なわれていないため定かでなく、5世紀末〜6世紀前半頃という説もあります。
倭彦命については『日本書紀』に、垂仁天皇28年10月5日に薨去し、11月2日に「身狭桃花鳥坂」(むさのつきさか)に葬られ、近習は墓の周辺に生き埋めにされたと記されています。
殉死した近習は数日間生き続け、うめき声を上げたので、以降は殉死が禁じられ、埴輪をその代用にしたとも(考古学的な裏付けはありません)。
江戸時代に編纂された『大和志』や『大和名所図会』では鬼の俎・鬼の雪隠東方の石室を倭彦命の墓に比定していますが、明治10年4月、内務省が桝山古墳に治定し、用地買収が行なわれています。
四道将軍を各地に派遣したことで知られる崇神天皇は、実在した可能性のある最初の天皇。
3世紀後半頃に実在したヤマト王権の大王と推測されますが、その実在を含めて定かでなく、桝山古墳の被葬者も考古学的には明らかではありません。
googleの衛星写真、航空写真では、北東に前方部を向ける前方後円墳に見えますが、幕末に行なわれた修陵によって改変をうけた姿で正しい姿ではありません。
鳥屋ミサンザイ古墳(宣化天皇陵)や新沢千塚古墳群(にいざわせんづかこふんぐん)にも近く両者の密接な関係が推測されています。
名称 | 桝山古墳/ますやまこふん |
所在地 | 奈良県橿原市鳥屋町 |
関連HP | 橿原市公式ホームページ |
ドライブで | 京奈和自動車道橿原高田ICから約3km |
問い合わせ | 橿原市観光交流センター「かしはらナビプラザ」TEL:0744-47-2270 |
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