新潟県新発田市天王にある、新潟屈指の豪農の家と庭園が市島邸(いちしまてい)。福島潟干拓に力を注ぎ、幕末に財を成した新発田の豪農が市島家(ルーツは丹波=兵庫県)。見事な邸宅と、それを取り囲む回遊式の庭園「静月園」が公開されています。庭園は、「にいがた庭園街道」の構成資産。
越後屈指の豪農、市島家の邸宅
初代新発田藩主となる溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)は、尾張国中島郡西溝口村(現・愛知県稲沢市西溝口町)の出身で、幼少時から丹羽長秀に仕え、織田信長にその才を見出された武将。
大聖寺城(現・石川県加賀市大聖寺町)の城主を経て新発田城主に。
慶長3年(1598年)、溝口秀勝の新発田移封に伴い、大聖寺城下から市島治兵衛も新発田に移り住んでいます。
現在の月岡駅(大正元年9月2日開業、開業当時は天王新田駅)の敷地も市島家が無償で提供したもの。
市島家はその居宅を五十公野、天領・水原と移していますが、水原時代には福島潟の干拓を中心に蒲原平野の開発に努め、ついには北越有数の豪農へと発展。
文化文政期の終わり(1830年頃)には、1700町歩を有していました。
それでも、市島家の家風は質素倹約。
「お金と努力は人のために」が家訓のため、福島潟の干拓事業ができたのです。
その水原にあった本邸は戊辰戦争で焼失。
現存する建物は、牛島徳次郎(静月)が明治初期に移転再建したもので、敷地面積8000余坪、建坪600坪を誇る大邸宅です。
茶室や回遊式庭園「静月園」もあり、越後の豪農がいかに財を蓄えていたのかを垣間見ることができます。
回遊式庭園「静月園」横には迎賓館「湖月閣」がありましたが、平成7年4月1日の新潟県北部地震で倒壊しています。
市島家は、新潟県内に5家あった千町歩地主(1000町歩以上を所有する巨大地主)のひとつ。
明治21年の所有地価は新潟県第1位、全国有数の大地主でした(明治初期には納税額全国2位)。
「にいがた庭園街道」のうち、市島邸(市島家)、孝順寺(斎藤邸)、椿寿荘(田巻家)、北方文化博物館・新潟分館(伊藤家)は、いずれも千町歩地主の庭園です(残る白勢家と、新潟県には5家の千町歩地主がありました)。
市島邸 | |
名称 | 市島邸/いちしまてい |
所在地 | 新潟県新発田市天王1563 |
関連HP | 新発田市観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR月岡駅から徒歩12分。または、JR新発田駅からタクシーで15分 |
ドライブで | 日本海東北自動車道豊栄新潟東港ICから約7km |
駐車場 | 50台/無料 |
問い合わせ | 市島邸 TEL:0254-32-2555/FAX:0254-32-1188 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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