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良寛堂

1758(宝暦8)年、出雲崎(いずもざき)の名主・橘屋(山本家)の長男として生まれた良寛。江戸時代名主を務めた橘屋は、石井神社の神職も兼ねた名家。国道402号沿いにある良寛堂は、この生家橘屋の屋敷跡に建つ小さなお堂で、往時の屋敷の敷地は現在の約2倍であったという。

佐渡を借景に日本海に浮かぶ良寛・生家跡に建つお堂

郷土史家・佐藤耐雪が大正4年に発案し、日本画家、寛風の能書家(良寛の書の研究家)でもある安田靫彦(やすだゆきひこ)が設計、大正11年に完成したのが良寛堂(そのつぶさな経緯は佐藤耐雪著『用留』に書き残されています)。

良寛が肌身離さず身につけていたという、石地蔵が安置された多宝塔には、良寛自筆の歌「いにしえにかわらぬものはありそみとみかひにみゆるさどのしまなり」が刻まれています。
母の故郷・佐渡を借景に日本海に浮かぶようにしてたたずみ、良寛像も佐渡を見つめています。

良寛
宝暦8年10月2日(1758年11月2日)、出雲崎の名主、橘屋の長男として生誕。
18歳で名主見習いを初めて46日目に、曹洞宗光照寺で突然出家。
良寛と名のり大愚と号します。
22歳の時、備中玉島(現・岡山県倉敷市)の円通寺の国仙和尚に師事し、12年間修行。
34歳の時、「好きなように旅をするが良い」と言い残し世を去った国仙和尚の言葉を受け、諸国を巡る旅に出ます。
中山草庵(西照坊)、郷本空庵、寺泊密蔵院、野積西生寺、国上五合庵、国上本覚院などを転々とし、1805(文化2)年頃から五合庵中心の生活に。
自らの質素な生活を示し、簡単な言葉(格言)で仏法を説きました。
その後、乙子神社草庵、島崎村木村元右エ門邸に暮らしますが、73歳の時、痢病(赤痢)にかかり、 天保2年1月6日(1831年2月18日)没。
墓所は隆泉寺(新潟県長岡市島崎)。
旧暦1月6日に没した良寛ですが、1月6日の「良寛忌」は初春を表す季語にもなっています。

良寛堂
名称 良寛堂/りょうかんどう
Ryoukan-do
所在地 新潟県三島郡出雲崎町石井町
関連HP 出雲崎町観光協会ホームページ
電車・バスで JR出雲崎駅から越後交通バス出雲崎車庫行きで10分、良寛堂前下車、徒歩すぐ
ドライブで 北陸自動車道西山ICから約15.7km。関越自動車道長岡ICから約22km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 出雲崎町観光協会 TEL:0258-78-2291/FAX:0258-41-7322
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

良寛記念館

2017年12月28日

 

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