新潟県三島郡出雲崎町にある素敵な路地が俵小路(たわらこうじ)。享保9年(1724年)、出雲崎・羽黒町に長岡藩の陣屋が置かれた際、その御蔵米を納めた米蔵への通路だったことが名の由来です。丘の上に陣屋があり、その中腹に米蔵があったのですが、急坂のため、米俵を運ぶ人夫は苦労したと伝えられています。
長岡藩陣屋の米蔵に俵を運んだ道
出雲崎は、その土地の重要性から江戸時代の大半が徳川幕府の天領で、羽黒町には代官所(出雲崎陣屋)が置かれていました。
享保9年(1724年)、地滑りで代官所は被害を受け、代官所支配地の村々は長岡藩預領となり、代官所(出雲崎陣屋)は廃止されたのです。
長岡藩の陣屋も、宝暦13年(1763年)に、天領に戻ったため、再び尼瀬に戻っています。
つまり、40年間ほどの間だけ長岡藩陣屋が羽黒町にあり、下の道には羽黒神社が鎮座していました。
良寛が生まれたのは、宝暦8年10月2日(1758年11月2日)のことなので、生まれた当時にはここを米俵を運ぶ人夫が行き交っていたことに。
松尾芭蕉が『奥の細道』で大垣に向かう途中に通った時には、まだこの俵小路はありません。
出雲崎・俵小路 | |
名称 | 出雲崎・俵小路/いずもざき・たわらこうじ |
所在地 | 新潟県三島郡出雲崎町羽黒町460地先 |
電車・バスで | JR出雲崎駅からタクシーで6分 |
駐車場 | いずもざき海遊広場駐車場、出雲崎漁港、出雲崎図書館など周辺の公共駐車場を利用 |
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