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関興寺

関興寺

「雲洞庵の土踏んだか、関興寺(かんこうじ)の味噌なめたか」という2つの禅寺の福徳で有名な、南魚沼市の臨済宗円覚寺派の寺が関興寺。応永17年(1410年)、覚翁祖伝(かくおうそでん)が、普覚円光(ふかくえんこう)禅師を招いて関山村に開山。覚翁祖伝は、初代関東管領で、山内上杉家の始祖・上杉憲顕(うえすぎのりあき)の子です。

越後にあった禅宗、2つの名刹が雲洞庵と関興寺

上杉氏の庇護を受け栄えますが、天正5年(1578年)、上杉景勝(長尾政景の実子)と上杉景虎(北条氏康の実子)との間で起こった御館の乱(おたてのらん=謙信没後の家督争い)などの度重なる戦火で往時の堂宇を失っています。

御館の乱の際に、時の住職・雨天是鑑は、上杉景虎方の小田原北条軍に包囲され、逃げ込んだ景勝軍の将兵を引き渡すように命じられました。
それを頑として拒否し、上杉氏寄進の大般若経600巻を味噌桶の中に埋めるよう修行僧に指示。
大般若経600巻は味噌に守られて消失を免れました。

こうしたことから、関興寺(戦国時代までは関興庵)の味噌を味わうことにより、大般若経のご利益にあずかり、福徳が授かることができると信じられるようになりました。
「雲洞庵の土踏んだか、関興寺の味噌なめたか」は、雲洞庵(曹洞宗)、関興寺(臨済宗)という2つの名刹で修行すれば一人前の修行僧だという戒めにもなっているのです。
つまりは、「雲洞庵で修行したのか、それとも関興庵で修行したのか?」が、「雲洞庵の土踏んだか、関興寺の味噌なめたか」という言葉の正しい解説です。

慶長5年(1600年)、上杉景勝が米沢に転封された際には、上杉家に従って関山村から米沢に移っています。
寛永6年(1629年)、4度目となる火災で衰退し、寛文年間(1661年〜1673年)に米沢の地から現在地に移っています。

総門は、安房勝山藩の酒井家の門を群馬県箕郷町(現・高崎市)に移し、さらに平成21年に関興寺に寄付されたもの。
本堂前の庭は、南魚沼では珍しい枯山水の庭園「臥龍の庭」(がりゅうのにわ)。
こちらも必見です。

関興寺
名称 関興寺/かんこうじ
所在地 新潟県南魚沼市上野267
関連HP 関興寺公式ホームページ
電車・バスで JR石打駅からタクシーで5分
ドライブで 関越自動車道塩沢石打ICから約3.3km
駐車場 8台/無料
問い合わせ 関興寺 TEL:025-783-2111/FAX:025-783-2125
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

雲洞庵

2018年4月16日

 

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